階 知彦
日常の中にある違和感をエッセイの形にまとめてもらいたい──というメールが届いたまだ寒い三月の夜、窓の外では雨が降っていた。
「明日は寒くなるのかな」
「雨が降ったら気温が下がるものね」
というお決まりの会話を家族としながら、僕は思った。
その「雨が降ったら気温が下がる」というのはおかしいのではないか。
「雨が降ったら気温が下がる」という文はいわゆる順接の構造になっていて、「雨が降ると、そのせいで気温が下がる」と言っているように聞こえる。降った雨が空気を冷やして気温を下げているかのように、だ。
しかし、中学校の理科の授業で先生はたしかこう言っていた。暖気と寒気のぶつかるその境い目(寒冷前線のこと)に雲ができ、そこに雨が降る──と。もしあの先生の話が本当なら「雨で気温が下がる」のではなく、「寒気が近づいているから雨が降った」というのが真相で、起点と結果がまったく逆だということになる。
同じく雨についての定番の会話には、こういうものもある。
「木曜日は雨なんだって。先週の木曜日も雨だったのにね」
「そういえば、その前の木曜も雨じゃなかったかな」
毎週同じ曜日に決まって雨が降るということを謎めいた現象としてとらえているわけだが、僕が子どもの頃に何かで読んだ記憶では、昔の人はさまざまな経験をもとに「この世界はもしかすると七日周期で回っているのではないか」と推測し、それをひとつの単位期間として定めたということであった。つまり、週とは「定期的に同じことが起こる」ことを前提にその周期をもって定義されたものなのだから、「一週間ごとに同じことが起こる」のは偶然ではなく、言うなれば「必然」なのである。雨と気温の問題同様、そもそもの順番が逆なのだ。
定義ということなら、地球一周が四万キロメートルであることに対する「三万九千キロでも四万一千キロでもなく、四万キロちょうどだなんて不思議だね」という素直な驚きも同質だ。これもまた、地球の周囲の長さを基準としてメートルを定義したのだから、「ちょうどの数字になる」ことは神様のしわざなどではないのである。
話を元に戻そう。
ともかく「AとなったらBとなる」という文はふつう、Aが起点や条件でBがその結果だ。たとえば「走ったら間にあう」とか「食べ過ぎたら太る」とか「風が吹けば桶屋が儲かる」とかのように。だから、起点と結果が入れ替わってしまっている「雨が降ったら気温が下がる」という文章に違和感を覚えたのである。いや、違和感どころか間違いだと言ってもいい。
ところがどうだ。違和感の正体を突きとめたにもかかわらず、心晴れやかになるどころか、なおいっそう、なんだかもやもやするではないか。
一体これは何なのだ。
──そのとき。
『ちょっと待ちたまえ』それまで片隅で黙って見ていた探偵がふいに言った。『その状態で有罪と断ずるのは僕もいささか早計だと思うがね。頭の中をきちんと整理して、もう一度よく考えてみてはどうだい』
彼の言うとおりだ。僕はうむと腕を組んで目の焦点をゆるめた。
「AとなったらBとなる」という文章においてBが起点でAが結果ということはありえないのだろうか。彼が再考せよと言うくらいだ、きっとそういうケースもあるに違いない。試しに先述の例文のAとBを入れ替えてみる。「間にあったら走った」「太ったら食べ過ぎた」──だめだ、明らかにおかしい。おそらく時間軸のせいだろう。時間が逆行してしまっている。
ただなぜか、胸がざわざわとざわめく。
桶屋はどうだろう。「桶屋が儲かったら風が吹いた」
これはもっとはっきりと時間が逆行しているではないか──と思った瞬間、僕の中で火花がバチバチッと飛び散った。
『どうやら気づいたようだね』彼はくちびるをゆがめるようにして、満足げに小さく笑った。
そうか、なるほど。これはキミやキミが属する種別の人間がよく使う構文だ。結果から起点へと遡る──つまり、推理だ。
「現場に残された指紋はあなたのものだ。だから犯人はあなただ」
「被害者はあなたのイニシャルを書き残していた。だから犯人は──」
「あなたが言ったことは犯人だけが知りうる事実だ。だから──」
すべて同じ構造の文だ。
だとしても、だ。「桶屋が儲かった」という結果から「風が吹いた」という起点にまでたどり着くなどというのは、どうにも途方もないことだ。さすがのキミでもそんなことは不可能なのではないか。
僕は振り向いたが、そこには窓の外を気にする家族がいるだけだった。
居間に戻ってテレビをつけると、天気予報が言っていた。
「明日の朝には雨もあがって、気温はぐんと下がるでしょう」
雨が降った。だから犯人は暖気とぶつかった寒気──あなただ!
僕はくちびるをゆがめるようにして、心の中でそうつぶやいた。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳