講談社BOOK倶楽部

『カロリー表示は私を健康に導くのか』秋川滝美|日常の謎|webメフィスト
webメフィスト
講談社ノベルス

日常の謎

カロリー表示は私を健康に導くのか

秋川滝美(あきかわたきみ)

 ストレスを発散したくなると、カラオケにでかける。

 物書きの端くれになって早二年、のんびりと仕事をさせていただいてきた私だが、今春刊行した『居酒屋ぼったくり』が予想以上の評判を呼んだ。おかげで、サイン本だ、取材だ、打ち合わせだと忙しく、生意気にストレスをためたりもする。

 思いっきり羽目(と音程)をはずして馴染みの歌を歌うことは、私にとって格好のストレス解消の手段である。

 ただ、どうにも気になるのは、歌い終わったあとに表示されるあの数字。

 いや、得点なんかじゃない。なんせ私は人呼んで『声量のある音痴』。採点なんて自虐行為はパス。問題なのは『消費カロリー』というやつである。

 む、6.1kcalか……けっこういったな、とか、この熱唱が3.8kcalってどういうことだ! とか思う。

 これではいかん! といきり立ち、さらなる声量と気合いで次の曲に挑んでしまう。高体重、高血圧、高コレステロールのメタボ三高。医者から瘦せろ瘦せろと言われ続ける身としては、消費カロリーは少しでも多い方がいい、という気持ちからである。

 歌い終わって、モニターを見つめる。

 プロ顔負けの大熱唱(但し音量のみ)、さぞやでかい数字が出るだろう。

 数秒後、映し出された数字は5.7kcal。

「ちょっと待て。そこへ直れ!」

 と、刀を抜きそうになる。いや、相手は機械なんだから刀よりドライバーか? これでもかつては家電売り場で、善良なる市民の皆様にテレビを売りつけていた女。音響機器への致命傷の与え方など先刻ご承知。このあたりをちょいちょいっと……と、怪しい視線を走らせる母親に危機感を覚えたのか、息子がにじり寄ってきた。

「あいや待たれい。母上、お心静かに」

(ノリがいいな。さすが我が息子)

「む?」

「各々の数字はたかがしれておりまするが、回を重ねればそれなりに……」

「道理……」

 それなら、作戦変更だ! 質より量で、歌って歌って歌いまくるぞ!

「あんた、ちょっとトイレに行っといで。ついでにドリンクバーにも寄ってきて」

「は?」

 作戦どころか言葉遣いまで変更した母にきょとんとする息子。

「母はその間に二曲歌う!」

「ずるい!」

「じゃあ、歌に合わせて踊りまくる!」

「うわあ……」

 見たくねえ、と涙目になりながら、息子はドアの向こうに消えた。

 その後、時々息子の順番をすっ飛ばして、三時間で十八曲を歌い上げた。

 あー疲れた。しかも空腹。こんなにお腹がすいたのは、たくさんカロリーを消費したせいだろう。

 カラオケで食べるなんて時間の無駄、という認識しかない我々は、会計をすませて機嫌良くファミレスに向かう。

 さて、何を食べよう。オムライスなんてどうかな? 家では絶対作れないようなふわふわとろとろの卵はさぞや美味しかろう、と思いながらメニューを捲る。

 発見! ふふ……デミグラスソースがこってりまったり。この白いのは生クリームかな。だとしたらコクがプラスされてさぞや……。

 抑えきれない笑みが湧く。気になるお値段もなんとか予算内。よし、これにしよう、と決めかけた私の目に入った小さな数字。

 815kcal……?

 頭の中で数字が躍る。私の摂取カロリーの目安は一日1600kcal、一食当たり500kcalと少々。さっきカラオケで消費したのは、一曲平均6kcalとして十八曲で108kcal。その分足しても608kcal……。

 駄目だ、オムライスはアウトだー!

 嘆きとともにページを捲った私の目に飛び込んできたのはミニパフェ。真っ赤な苺の下に表示された数字は353kcal……。

 さんびゃくごじゅうさん!?

 知識はそれなりだが、実行力希薄。故に永遠のダイエッターな私。正直に言えば、カラオケでカロリーも消費したことだし、ちょっとぐらいオーバーしても……なんて考えていた。

 この数字を知らなければ、オムライスもミニパフェもぱくぱく食べてしまえただろう。だが、さすがにこれは駄目だ。ちょっとどころじゃないオーバー。侮り難しは洋食のカロリー……。

 許すまじ、カロリー表示! なんでこんなものを書くんだ!

 と吠えまくる私を、息子が宥める。

「カロリー表示はヘルシー志向の証だよ。私たちは常にお客様のお身体のことを考えております。いつまでも健康で、末永く当店をご利用下さい! だよ」

 どか食いのメタボ一直線では先々の需要が見込めない。細く長くの安定路線狙い……確かに間違ってない。

 泣く泣く私はメニューをひっくり返し、カロリー重視で料理を選びなおす。

 さようなら、ふわとろオムライス。ごきげんよう、苺のミニパフェ。いつか会える日が来るといいね……。

 結局、私が注文したのは生姜スープご飯。すごく美味しかったし、カロリーも358kcalと理想的。生姜のスープで身体もぽっかぽかに温まった。

 カロリー表示のおかげで、本日の私はダイエッターの優等生。

 けれど、過剰に力んで歌ったカラオケは喉に微妙な違和感を残し、食べられなかった料理への未練は食いしん坊の心を苛む。

 カロリー表示に翻弄された一日。果たしてこれを健康的と呼んでいいのか、大いに謎である。

Backnumber

あとがきのあとがき 日常の謎
メフィスト賞とは?