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『忘れられた犯人』阿津川辰海|日常の謎|webメフィスト
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日常の謎

『忘れられた犯人』阿津川辰海

阿津川辰海

 私は私の作った謎に苦しめられていた。

 アイデアに詰まってかれこれ数時間。とことん気弱になっている時には、自らの過去の遺産に頼む思いが湧いてくる。本棚の右下の隅――あえて見ようと思わなければ見ることもない位置――にある、自分の過去の作品メモが残ったノートを開く。ノートには、おぞましい量の黒歴史と共に、未完の「謎」がつまっている。一笑に付して終わることもあれば、全然別の形でアイデアが繫がることもある。二作目の長編として書いている原稿などはまさに、昔の覚え書きがちょっとしたギアになった例だった。

 さて、そのメモの中に、大学二年生の頃に作った「犯人当て演劇」の草稿があった。「新月お茶の会」という文芸サークルの新入生歓迎のイベントとして企画していたもので、私達が一年の時に先輩が催してくれたので今年もやろう、と同期が声を上げた。不幸にも、ミステリを書いている物好きが私しかいなかったので脚本を引き受けた。しかも前年の先輩の劇が、部室になぜか置いてある立て看板を利用した「密室トリックの実演」を含んでいたので、それも入れようとの難しいオーダーを用意されていた。

 しかし、結局この演劇は没になった。

 他の会員とも話し合い「新入生に会員の顔と名前を覚えてもらうのも大事だから、役は会員本人にして、阿津川が当て書きをする」ということに。練習も必要になるため、私の同期である「新二年生」七名で劇を作ることも決まった。だが、一人目の会員Sに草稿を見せた途端問題になった。

「お前、俺のことをこんな風に見ていたのか!」

 そうなのである。当て書きをしたせいで私の皮肉混じりの会員観の一端が明らかになってしまったのだ。当て書きに夢中になるあまり、それが現実に及ぼす影響を考えられなくなっていたのである! 現実の人物で小説を書くことなど、『匣の中の失楽』のナイルズくらいにならないと許されないのだと大いに思い知った。さすがに死体役は自分に振っていたが、それくらいでは済まない話だ。私は一人目に指摘を受けた瞬間に尻尾を巻いて逃げ出し、「脚本は完成しませんでした」と表向きには言って、この原稿を完全に闇に葬ることにした。

 加えて、Sの指摘は犯人当て部分の趣向にも及んだ。

 私は演劇を参加型の形式に仕立てた。演劇が終わるとプレーヤーは部室の中を自由に動ける。部室内の物品に証拠品のタグがつけてあり、証言を会員たちから聴取する。そして、「この演劇には、密室トリックの実演を含みます」という注意書きを事前に渡しておく。タグがつけられた証拠品を組み合わせると、実際に物理トリックで部室を施錠できる。

 しかしこの犯人当てのミソは、この密室トリックからは犯人が解けないことにある。実は、真のトリックは最初の死体発見時の演劇部分で行われていたのだ。犯人役の会員にはこの時、観客である新入生の目の前で堂々と、部室の鍵をすり替えてもらうのである。

 これを受けてSは一言、「オタク臭い。細かい。もっと派手なのが良い」

 そう言われてしまえば立つ瀬がない。もっとも、当時の私はSの身も蓋もない評価にムカッ腹が立ったものだが、今になって思えば、引っかけ方がこずるくて自分でも嫌になる。鍵のすり替え機会の検討は綿密にしてある点は自分を褒める気になるが、全体として今の自分の趣味とも違う。当て書き問題もあるし、没になるべき原稿だったのだ。

 しかし、ここからが問題である。この原稿には犯人の名前がなかった。

 犯人を特定するための思考のプロセスはしっかり書いてあるのに、では誰が犯人なのか、というところになるとすっぱり記述が抜け落ちている。演劇部分を書いていたのだから、鍵のすり替えシーンに怪しい行動をしていた人物の記述があっていいはずなのに、そこだけ空欄になっている。つまり犯人だけが分からない。ある意味どうでもいい点ではあるが、一度気になって来ると、どうにも喉に魚の小骨が引っかかっているような心持ちだ。

 私は私を除いた同期六人の顔を頭に思い浮かべ、「この中に殺人犯がいるのだ」と考えてみた。私は椅子に深く沈み込むと、私だけに許されたこの冒険を楽しみ始めた。過去の私が投げ出したがゆえに残された謎。自分でさえ忘却してしまった「犯人」の正体。これを解ければ、今の自分はあの頃よりは成長したという、仮初めの満足に浸ることもできるかもしれない。

 ほどなく閃きを得る。テキストから解けないなら、自分の現実から解けないか?

 まず、「私なら誰を自分を殺す役に振るか」を考えた。新歓の時、好きな作家が被ったのでその作者の好きな作品をそれぞれ五作ずつ挙げ、一つも被らなかった会員M。私はその時、彼とは良い友人になれることを確信し、事実自分では手に取らなかったであろう本や作品に数多く触れることが出来た。彼を犯人にしていただろうか? いや、しっくりこない。彼を犯人役にしていたとすれば、その時点で気恥ずかしくなって、Sにさえ原稿を見せなかったのではないか。

 次に、「誰なら犯人をやれそうか」を考えた。これはいかにもありそうな解き筋だ。なにせ、犯人は観客の目の前で鍵をすり替えねばならない。それなりの演技力と度胸、手先の器用さが必要だ。私の脳裏に手品師の先輩の姿がよぎったが、先輩は新歓行事に参加していない。お笑い研に所属し、最も舞台慣れしていそうなKはお笑い研の新歓と日程が被ったとの走り書きがノートに残されており、キャストから外しているようだ。

 しかし、手ごたえはある。犯人が空欄なのは、私が「犯人役のオファー中だった」と考えることも出来る。私がSに最初に見せに行ったのも、Sが犯人役をやれそうな人物の一人だったからではないか!? だとすれば、最初の交渉で中止になったのだから、犯人のみが空白の草稿が残ったのにも頷ける。Sが部室で殺人を……?

(あれ…?)

(部室で……殺人?)

 その言葉を思い浮かべた途端、私の視界が揺らいだ。

 ……犯人当て演劇が中止になった理由は……何だったっけ?

 私は作品を書けなかったと噓をついた。その時同期Hが言った気がする。

(気にすることないよ……どのみち、あんなことがあったあとじゃあ……)

 頭の中で部室に倒れ伏した男の映像がチラつく。これは何だろう……演劇は没になったはずなのに。「こんな光景を見たことがないはずなのにどうして私にこんな記憶があるのだろうか」

 Sに作品をけなされた後のことを、私はよく覚えていない。

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