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『味のないコーラ』住野よる|日常の謎|webメフィスト
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日常の謎

『味のないコーラ』住野よる

住野よる

 ハンバーガー屋さんでジューシーなハンバーガーや、カリカリに揚げられたポテトを味わったあとにコーラを飲むと、得も言われぬ爽快感があります。これは普段飲むのとは違う飲み物だと感じるくらいに美味しい。食べる幸福飲む幸福を存分に味わい、満腹の食後、二人以上なら空っぽのプレートを挟み多少はおしゃべりをするでしょうし、一人でも携帯で次の予定を確認したりメールを見たりするんではないでしょうか。そうしていると、味の濃い食事をしたせいで喉がいつもより渇いてきます。コップを見ると、もうコーラはほとんどなく、氷が溶けてうっすらと色をつけたほぼ透明な液体が残るばかり。それでも喉が渇いているので、ストローで吸い上げると、コーラの風味と甘みをうっすらうっすらつけたような水が喉を潤してくれます。このコーラの残り香ウォーター。僕は何故か、これがかなり好きなのです。

 正直なところ冷静になってみると、別に美味しくない。味はないし、炭酸はいなくなっているし、冷たいだけ。量もちょっと飲んだら氷が溶けるのを待たなくてはいけません。いいところなんてありません。なのに、好きという気持ちを捨てられないのです。何故なのでしょうか。

 最初に思ったのは、単に僕の舌が貧乏性すぎるだけなのではないかということです。偏食家で編集部の方々に日々ご迷惑をおかけしている僕は、焼き魚は脂が乗っているものは嫌いでパッサパサのが良いなどとのたまっているのですから、味のないコーラが好きというのも納得出来るかもしれない。と思ったけれど、いやいや、よく考えたらコーラは単純にしっかり味のする方が美味しい! それでも目を逸らせない相手があの味なしコーラなのですから、ことはそう単純ではないのです。

 次に、僕が馬鹿舌すぎて何かあれを飲む時に妄想で美味しい味と勘違いしているのではないかと考えました。これを書いている数日前、僕はとあるコンビニで買えるチョコレートを食べて「何度食べてもイリコの味がする」と友人達に主張をしました。イリコとはあれですよ、あのお魚ですよ。関東では煮干しと呼ぶそうですね。ええ、自分でも意味不明なことを言っているのは分かっているのですが、どうしてもイリコの頭の味しかしないのです。しかし友人達は皆渋い顔で首を横に振りました。こんな僕ですから、味のないコーラを何か別の味のするものとかんちがいして愛しているのも納得が出来るかもしれない。と思ったんですが、やっぱりいやいや、僕はあれを薄くてほぼ水の味しかしないと分かった上で、好きなのです。

 こうなったら実体験に頼るしかありません。僕は、これまで食べて美味しかったものを思い出してみることにしました。何か似た味のものがあったりして、ヒントになるかもしれないと考えたのです。

 デビュー前、僕はビスコを主食にするような生活を送っていました。しかし最近は生意気で恐縮ですが編集さん達に美味しいご飯に連れていっていただける機会もありまして、それらの記憶の中で美味しかったものを振り返ります。

 また、家族や友人達と食べた美味しいもの達のことを思い出してみます。

 そうやって記憶を振り返っていると、ふと、気が付きました。

 美味しいもののことを思い出そうとすると、その食べ物のことよりも、その時に一緒にいた友人達や編集さん達との楽しかった会話の方を思い出すのです。

 僕の「美味しい」の記憶の中には必ず「楽しい」という記憶が付随してきていたのです。確かに心持ちは味さえ変え、好みさえ変えてしまうでしょう。漫画でたまに出てくる泣きながらラーメンを食べて醬油なのに塩の味がするなんていうのは主観的には決して大げさではないのです。

 では、僕の好きなあの液体にも楽しい記憶が何か付随しているのでしょうか。

 ええ、やっぱり、楽しい記憶がセットになっていました。

 最近、僕は以前よりも多く、映画館に出かけるようになりました。ロビーでチケットを買い、売店で飲み物を買って、上映開始十分前、わくわくしながら静謐な空間に足を踏み入れ、自分の席を探す。上映までのその間も大切な時間で、その隙間で人々が共犯関係のようなものを構築します。予告も終わり、いよいよ本編開始。一時間半から、長くても三時間ほどの間、お腹が空くかも、大丈夫、ポップコーンを買ってあります。喉が渇くかも、大丈夫、シュワシュワと爽快なコーラを買ってあります。最初の頃はポップコーンをつまみ、コーラを飲んで満たされた状態で映像を見ているでしょう。でもやがてそうも言ってられなくなります。映画が進みクライマックス、のめり込んでいくと、そこに食べ物や飲み物があることを忘れてしまうのです。そうしてクライマックスを終えてエンドロール。放心状態でたくさん流れる名前を見ていて、ここで息をつき、しばらく何も飲んでいなかったことにようやく気がつきます。そうして手元のコーラを飲むと、氷が溶け炭酸も抜けて、五分の一ほど残っていたはずのコーラがうっすいうっすいものになり、ほんの少し甘みと香りを残した冷たい水になっています。

 そうです、あの味がするのです。

 長編映画を見たあとの満足感、それがあの必要な要素を空っぽにした液体と共に記憶の中にあったのです。でもやっぱり、それ自体のことも好きでなければ成立しないのではないか、そう考え、また映画館に行き気がつきました。

 想像の世界で熱くなってしまった僕の心は、きっと突然現実に触れたら風邪をひいてしまうのでしょう。

 そんな時、映画の中に味を忘れてしまった飲み物は、きっと僕の心を常温にする優しさを持っているのです。

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