吉田恭教
私は作家以外にも一本釣り漁師という顔を持っており、地元島根の海で体験した不思議な事象や、今も残る奇妙な験担ぎについてお伝えしたい。
まず一つ目、謎の発光現象を目撃した。僚船数艘と夜中の二時に出港し、漁場に向かって小一時間ほど船を走らせていた時、突然、辺り一面が真昼と化したのだ(大袈裟ではありません)。ほんの一瞬の出来事だったから時間にして一秒もなかったが、あれは流星が燃え尽きる瞬間だったのではないかと思う。光が出現する直前、僚船の一人が流星を見たと話した。
二つ目は落雷だ。落雷と言っても普通の落雷ではない。そこら中やたら滅多らに落ちるものだから、命からがら港に逃げ戻った。海上に避雷針なんて気の利いた物はないし、雷にとって船は落ちるに最適な物体ときている。事実、落雷の直撃を受ける船も少なくない。それなのに、あれほど至る所(酷いのは目前数十メートル)に落ちた雷が、どういうわけか、まるで意思があるかのように私の船を避けていた。正直、神様が守ってくれたのかなと今でも思う。ここで神様について触れたのには理由があって、それについては後述する。
そして三つ目は、験担ぎについてのお話だ。何故かこちらの漁師は、昔から沖に卵を持って出てはいけないと言われており、ゆで卵は勿論のこと、目玉焼きや卵焼きもダメ。卵は弁当の定番で、野球で言ったら四番打者、サッカーで言えば背番号10といったところか。そのエースを何故、漁に持って出てはいけないのか? うちの家内なんか、「卵がダメだから弁当のおかずに困る」とぼやくことしきりだ。
この謎、漁師になった翌年にある老漁師が答えをくれた。毎年一月十一日は、全国的に荒神様(時化を齎す神様)を鎮めるお祭りで、漁師は仕事がお休み。たとえ凪であっても沖に出てはいけない。早い話が船止めだ。誤解のなきよう書き加えるが、あくまでも近海で漁をする船だけである。
祭りというぐらいだから朝から晩まで酒を飲む。そして宴会の席で、卵を漁に持って出てはいけない理由が判明した。
隣に座った老漁師に尋ねたところ、「お前、そんなことも知らんのか?」と馬鹿にされ、「だって、Iターンで漁師になったんだもん」と釈明。
すると、その老漁師はこう言った。「漁の神様は誰か言ぅてみぃ」と。だから私は胸を張り、「恵比寿さんに決まってるじゃん」と答えた。恵比寿さんは右手に竿を持って左手で鯛を抱えていることから、漁の神様と言われている。
「恵比寿さんと卵がどう関係してんの?」と改めて老漁師に問うと、「仇が産むけんじゃ」との返答。つまり、恵比寿さんは鶏を敵と思ってるわけだが、そうなった経緯が気になり、重ねて尋ねた。
「仇ってどういうこと?」
「恵比寿さんは無類の女好きで、ある日、船で夜這いに行った。でもな、鶏が時を間違えて早鳴きしたもんだけん、もう朝だと勘違いした恵比寿さんは慌てて夜這い先から逃げ出して船に乗った。だが、慌てとったもんだけん櫂を途中で海中に落としてしもうたんじゃ。お前、船に乗って櫂がなかったらどがぁする?」
「それは、手で漕ぐしかないよね」
「恵比寿さんはな、足で漕いだんじゃ。そうしたら、近くを泳いどったワニ(鮫のこと)にガブリとやられてのぅ。それ以来、恵比寿さんは鶏が大嫌いになって、海に卵を持って出る漁師に魚を釣らせんようになったんじゃ」
つまり、恵比寿さんの逆恨みってことになる。鶏は、恵比寿さんが夜這いしていたなんて知らなかっただろうし、いつ鳴こうがそんなもんは鶏の勝手だから、恨まれては堪らない。そんなわけで、恵比寿さんを崇拝する漁師連中も、漁には卵を持って出なくなったそうな。そうそう、漁師の中には極端な人もいて、鶏肉も口にしないという徹底主義者がいると聞く。
皆さんご存知のことと思うが、恵比寿さんは大国主命のことである。では、大国主命の義理の父親が誰だかご存じだろうか? 答えは、八岐大蛇を退治した素戔嗚尊。この素戔嗚尊を祀っている神社が島根半島にあり、これが実に奇妙な場所に建っているからついでにご紹介したい。名称は韓竈神社という。
鳥居の高さは三メートルあるなしで、そこから先が参道なのだが、普通の参道を想像してはいけない。自然石で組まれた石段が続き、少し上るとその石段さえ姿を消して獣道の如き様相を呈し始める。足元は滑るし急勾配だし、転べば下まで落ちてしまうことは確実だ。おまけに、最も勾配がきつい場所は虎ロープが一本張られているだけといった有様。そんなこんなで道なき道の果てに辿り着くのが巨大な一枚岩で、その岩の亀裂を通らないと先には行けない。しかし、問題はこの亀裂。幅が四十センチ余りしかないからデブは通れないのである。そして亀裂の向こうに鎮座ましましているのが韓竈さんの御本殿。本殿と言っても小さな祠で、どうしてあんな場所に建てたのか首を捻りたくなる。
さて、前述した神様についての話に戻ろう。大国主命や素戔嗚尊以外にも、島根県と縁の深い神様は多く、冥界の入り口と言われている黄泉平坂の神話に出てくる伊弉諾尊・伊弉冉尊もそうで、島根県は正に神々の地と言えよう。そして私の家系(本家筋)は代々、神々に仕える神職を司っており、そんな関係で私も神々の地との縁が深いのではないだろうか。だからこそIターンで島根県を選び、落雷から守られたり、流星が燃え尽きる瞬間に遭遇したりしたに違いなく、これらの体験は私に不思議な物語を紡がせるための、神々の計らいだと思えてならないのである。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳