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『虫』結城充考|日常の謎|webメフィスト
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日常の謎

『虫』結城充考

結城充考

 この話を初めて知ったのは、二十年ほど昔のことだ。妻から聞いたのだった。

 妻が中学生の頃、曾祖母が曾孫の一人を連れ、隣町の「術者」を訪れたという。当時三歳程度の男の子――妻からは従兄弟にあたる――は癇が強く、その治療のために祈禱を受けにいった、という話だった。

 祈禱の際、妻の曾祖母は曾孫の指先から白い幼虫のような何かが現れるのを目の当たりにした。祈禱から帰った時には、「疳の虫というものは本当にあるのだな」と感心したようにその様子を語った、ということだ。

 奇妙に現実的な体験で、不思議な印象だったが、この伝聞がそのまま私の「謎」になったわけではなかった。身内の誰かが噓を言っているとも思わなかったが、伝聞には当然、どうしてもノイズが混ざってしまうこともあり、実話として素直に受け止める気にはなれずにいた。

 話を聞いた時には、妻の曾祖母はすでに亡くなっていたし、細部を確かめようもなかった。

 ただ、この国にも様々な術を生業とした呪術者が存在し、それは遠い昔ではなかった、と実感したのは確かだった。小さな奇譚として、心にも残った。

 この話が本当の「謎」となったのは、それから数年後のことだ。小さな奇譚をふと思い出し、私が実家で何気なく披露した際、思いがけない反応にあった。

 私の母も、「昔、同じ体験をした」といい出したのだ。実際に目撃した経験がある、という。

 それは妻の曾祖母の話とよく似た状況で、やはり癇の強い小さな子供の「虫」を取り除くために行われた祈禱の光景だった。子供の指と爪の間から、小さな、おぼろげな幼虫のようなものが抜け出て来たらしい。

 一体どういうことなのだろう、と考え込むことになった。

 母の実家は香川県にある。妻の実家は、福島県内に存在する。これだけ距離の離れた地域に、同じ術が伝わっていることも奇妙だったし、「虫」の実在も不思議でならなかった。

 母から少し、詳しい話を聞いた。

 母が四、五歳だった当時、近所に五十代ほどの術者が住んでいた。術者は着物姿の女性で、体の不調を訴える者や狐憑きを治しており、母は自分の祖母に連れられ、時折その施術の様子を見に出かけていた、という。

 狐憑きに罹る者は、どちらかというと若い女性が多く、二階から飛び降りるなどの奇行があったが、しかしなぜか、怪我をすることはなかったらしい。祈禱の最中には、のたうち回る者もいた。現代でいえば、精神的な病の一種だったはずだが、ともかくも祈禱の効果はあったようで、術者は周囲から尊敬を込めて「先生」と呼ばれていた。

 母が「虫」の姿を認めたのは、もっと後のことになる。その施術を行ったのは「先生」ではなく、(意外なことに)母の祖母、つまり私の曾祖母にあたる人物だった。曾祖母は「虫」を追い出す技術を、「先生」から教わっていた。

 依頼したのは、すぐ近くに住む幼児の両親だった。曾祖母が施術を行うのは、ごく親しい人から頼まれた時だけで、代金を受け取るようなこともなかった。

 そしてやはり母が目にしたのは、指先から現れる「虫」だった。すでに母は、小学四、五年生になっていた。

 小さな奇譚が私の中で、口に残る異物のように、嚙み砕くことのできない「謎」となった。

「謎」を意識し、日常の中で時折思い起こしたものの、まさかその正体が明らかになるとは、想像していなかった。完全には溶け込まないまま、いつしか記憶の奥に定着しようとしていた異物の正体が。

「謎」を解いたのは、情報技術の進歩、としか言いようがない。

 何気なくネット検索した際に、全く躊躇なく回答が現れたのだった。「疳の虫」の出現について解説するサイトがあり、その具体的な方法までが記載されていた。

 塩と水で両手をきれいに洗い流し乾燥させることによって、指先に残されていた布等の繊維が鮮明に現れる。それが、「虫」の正体だという。動画サイトでは、実演を観ることさえできた。

 誰にでもできる簡単なトリックであり、「虫」を出現させる作業とはつまり、患者の気持ちを落ち着かせるためのコミュニケーションの一種であり、詐術というよりも原始的な精神医療に属する技――その解説には説得力があり、疑いを差し挟む余地はなかった。これで「虫」は不可思議な現象ではなくなった。

 落胆は覚えなかった。むしろ、体内の異物を祓い落としてもらった気分だった。もう少しも気にする必要はないのだから。

 ――そのはずなのだが。

 それでもやはり時々は、思い出してしまう。精神的な病を癒す、現在とはまた別の、有効な技法。そう、少なくともその技は、問題を抱える患者に対して有効だった。

 しかし祈禱を生業としていた「先生」はなぜ、私の曾祖母にその技法を授けたのか。弟子でも身内でもない人間に。金銭の絡む話ではない。

 母は、「祖母には才能があったらしい」といった。

 一体、何の才能だったのだろう? 誰にでもできるはずのトリックに、どうして才能が必要になる? コミュニケーションの才能? 曾祖母は、滅多にその技術を人に見せなかった。対価を受け取ることもなかった。

「先生」や曾祖母が癒したものとは?

 あるいは……

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