豊田 巧
日常の謎がテーマとのことで執筆依頼を受けたわけですが、鉄道のことばかり書いている私が、突然「神様は本当にいるでしょうか?」とか、「近所でよく見かける犬はとても不思議で……」と書いても困惑されるかと思い、やはり、ここは鉄道に関する謎にしようと思います。
さて、鉄道好きの少年たちが学校の図書室に入って、鉄道に関する本が思ったより少なく「つまんないなぁ」と思っている時に、「これは!?」と目を輝かせる本は、十中八九、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だと思います。無論、私の小学校時代もそんな感じでした。
『銀河鉄道の夜』は1985年に、杉井ギサブロー監督によって劇場用アニメ映画になりました。この作品は主要登場人物たちを擬人化した猫の姿で描き、今までイラストでしか見られなかった宮沢賢治独特の不思議な世界を、強烈なインパクトのある映像で表現したことで、私も大きな影響を受けました。
作品の中で主人公のジョバンニは漁から戻らない父さんのことで学校ではイジメられ、楽しみにしていた星祭りでも仲間外れにされて居場所を失います。そして、逃げるようにして登った天気輪の丘の上に、突如、白い煙をはき、鋼の黒い車体を持つ蒸気機関車に牽かれた『銀河鉄道』がやってくるのです。ちなみに、アニメの機関車には正面プレートがなく、花のような模様が浮かびあがるだけで、蒸気機関車の形式はハッキリしませんが、側面のシルエットから動輪を六つ有する「C型タンク蒸気機関車」であることがわかります。
更にその五年ほど前には、松本零士の『銀河鉄道999』もアニメになって放送されていました。こちらは、恒星間航行が銀河鉄道によって可能になった未来世界ですが、先頭車は「C62蒸気機関車」になっています。中身は泣いたりもする人工知能ハイパーコンピューターなのですが……。
さて、ほとんどの人が『銀河鉄道の夜』と聞けば「蒸気機関車!」と思っていると思います。絵本コーナーへ行って銀河鉄道が描かれている表紙を見ても、蒸気機関車以外の物を、一つも見たことはありません。
私も先に紹介した映画のインパクトが大きかったことから「銀河鉄道は蒸気機関車だ」と完全に思っていたのです。
そして、鉄道作家として過ごすようになったある日、私は「鉄道作家なんだから『銀河鉄道の夜』はもう一度しっかり読んでおこう」と思い立ったのです。
未定稿のまま遺されたためいくつかの稿があるので、宮沢賢治の書いた最終形に最も近いと言われていた、一つの本を読むことにしました。でも、どこを読んでも「車輪から白い蒸気が」とも「くろがねの車体を軋ませ」など、蒸気機関車だったらあるべき表現がまったくないのです。勿論、本文では「汽車」と書かれているので、蒸気機関車と思ってしまいそうですが、旅の途中で先頭の機関車を見つめたジョバンニが、
「この汽車石炭をたいていないねえ」
と、言い、
「アルコールか電気だろう」
と、親友のカムパネルラが答えているのです。つまり、先頭を牽く機関車は、電気機関車かディーゼル機関車であり(ディーゼル機関車の燃料は軽油ですが、アルコールと思っていたと思われます)、宮沢賢治は少なくとも「蒸気機関車ではない」と書いているわけです。
「何を言っている? 宮沢賢治の生きていた頃は蒸気機関車しかないだろう」
と、思われる方も多いと思いますが、宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』の初稿を執筆したのは1920年代です。日本初の電車営業運転である京都電気鉄道の路面電車の開業は、1895年と明治時代であり、信越本線の碓氷峠区間(横川から軽井沢)に日本で初めて電化され、アプト式ラック鉄道の電気機関車が使用されることになったのは1912年です。
同じくディーゼル機関車は1914年頃には夕張炭鉱の鉱山鉄道でドイツ製のオットー機関車が使用されていました。
つまり、宮沢賢治が執筆していた当時、蒸気機関車こそ「古いテクノロジー」であり、『銀河鉄道』という不思議な世界を旅する最新鋭の列車が、古いテクノロジーで走ることなんて想像していなかったのだと思います。
そして、『銀河鉄道の夜』が、世間に発表されたのは1934年と死後のことです。著者本人がいなくなってしまったことが、こういった誤解を生んだ一因なのかもしれません。『銀河鉄道の夜』について宮沢賢治は晩年まで推敲を繰り返していたと聞きますから、こういうことを言うと各所から怒られそうですが、とても鉄道が好きな作家だったのではないでしょうか? だからこそ、『銀河鉄道』は蒸気機関車ではなく、当時最新のテクノロジーである「電気機関車かディーゼル機関車である」と想像したのだと、リニア時代を生きる鉄道作家は思います。
さて、無論、こんなこと鉄道作家ではなくても「原作を読んで絵本やアニメにしよう」と思われる皆さんは気がついていると思います。そして、宮沢賢治の思い描いた世界をなるべく忠実に表現しようとするはずです。
ですが……、先頭車が電気機関車やディーゼル機関車の本やアニメは一つもなく、この部分については誰も触れることがないという部分が……、私が思う日常の謎の一つなのです。
もしかして講談社の本もそうで、もしかすると、私、誰かに喧嘩売ってます?
いやいや、これはそういうことではないのです。いつか先頭の機関車が電気かディーゼルになった「鉄道作家が描く、本当の銀河鉄道の夜」を、私が単に書きたいと思っているだけなのです……。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳