十市 社
世界史がずっと苦手でした。人名・地名を問わず教科書にあふれる、あの無作為抽出されたカタカナの連なりにしか見えない名前の数々。日本史の教科書を眺めては、つくづく表意文字のある国に生まれてよかったと思ったものです。墾田永年私財法。読むだけで意味がわかるってすばらしい。
一般に、記憶力の優れた人と、そうでない人がいるといいます。卒業後何年たっても、世界の偉人をすらすらそらんじてみせる人と、そうではない人。
周りを見渡してみても、たしかにそうだなと思えるようです。何年も前の些細な出来事をいつまでも覚えている人もいれば、細かいことは気にせず、過ぎたことはすぐに忘れてしまう人もいる。
ただ、そうした記憶力がいい・悪いという評価軸には少し懐疑的──というか、やや乱暴すぎる括り方であるようにも思います。
そもそも、「記憶力がいい」とはなんなのか? 限られた時間でより多くの事柄を頭につめこめる能力? ベルサイユ条約とは西暦何年の出来事で、どんな条項を含んだ講和条約なのかをいつまでも覚えていられる能力?
でもそれって、本当に能力の差といえるのでしょうか。すべての人が全く同じ環境に育ち、ある同じ年齢に、同じ意欲でもって、同じだけ時間をかけて、教室の湿度温度は一定で、社会情勢もぬるく安定していて、同じくらい将来や人間関係の悩みを抱えながら取り組んだとしたときに、それでも結果には個人差が生まれるものでしょうか。
大して覚えようともしていない人が覚えていないのは、「記憶力が劣っている」といえるのでしょうか。
また、記憶するというのはインプットであるのに対し、「記憶力のよさ」を評価するときは専ら、その記憶を思いだす段階、アウトプットにのみ着眼しがちという問題もあります。
「あのとき、こんなことあったよね」
「え、あったっけ? 覚えてない」
「忘れたの? ほら、あそこであの人があれしたとき」
「ああ、あのときか。あったあった。覚えてる」
この場合、記憶自体に問題はなく、アウトプットや、それをふまえた記憶法が訓練されていない──いわば「思いだし力」が低いだけ、といえます。
このように「記憶力」とは、定義すらおぼつかない、定量化することの極めて困難な概念であるといえそうです。
そして、どんなに「記憶力のいい」人も、覚えていられることにはいずれ限界が訪れます。絶対に忘れたくないことだって、いつまでも「思いだし力」を維持できる保証はどこにもないのです。
ああ、それでなのか、というお話を。
自室にある、本棚として使用している縦長のメタルラック。その一角を占有しているDVD、およびブルーレイ・ディスク(以下BD)を眺めて、ときどき不思議に思っていました。
その棚には好きなアーティストのライブ映像もあれば、一時的に大ハマりしたドラマのDVD-BOX、学生時代に最終回だけ見逃したアニメの限定生産BOXセットも並んでいます。
もちろん、どれも好きで購入したものばかり。「この先何度でも見たくなるにちがいないほど好き」で「常に手もとに置いておきたいほど好き」だから購入したのです。今もその気持ちに変わりはありません。
ところがおかしなことに、棚に並ぶタイトルのゆうに半数以上が今もって未視聴であり、その多くはビニールすら開封しないまま、ただただ本棚を彩るモニュメントと化しているのです。不思議。
件のアニメにいたっては、当時最終回だけ見逃して悔しい思いをし、のちに廉価なDVD-BOXが出ているのを知って飛びつき、数年後には、〈期間限定生産〉〈全カット再撮影によりHD化〉等の謳い文句に負けて、BD-BOXまで大枚はたいて購入しています。
でも、見ない。
ここまでくると、もう何がしたいのやら自分でもよくわからなくなります。
コレクターというわけでもなく、所有する数はわずか。見る時間がないというのは言い訳になりません。事実、録画した番組などは食事しながら、歯を磨きながら、視聴しては消していくという作業をこなしています。ほとんど消すために見ていると自覚しながら。
では、なぜ買っても見ないのか。見ないのに買うのか。所有欲と制作者への敬意だけでは説明できないその答えの一つこそ、「記憶の外部インデックス化」にあるのではないか。そう思うわけです。
誰だって好きなもののことは忘れたくないはず。それでも日常生活において、好きなものすべてを常に頭に思い浮かべて暮らしてはいけません。そして残酷にも脳は、思いださずにいる記憶ほど思いだしづらくなっていく仕組みです。
でも、普段から目に入る場所に本棚があって、そこにパッケージが並んでいたら。それを見るたび当該領域の最新参照日時は更新され、ほとんど無意識のうちに記憶のメンテナンスが行われていくわけです。脳すごい便利!
そして──論をさらに押し進めるなら、まだ見ていないものであっても、インデックス化さえすんでしまえば、いつでもその記憶を取りこめるという約束さえあれば、それはもう自分の記憶の一部である、といっても過言ではありません。
いつか未来の自分が見るのなら、もう少し「未知の記憶」にわくわくしておくのも悪くない。そんな先延ばしを楽しめるところもインデックス化の魅力。見ないなら無駄、との冷めた声には、記憶は捨てられない、ときっぱり返そう。
「じゃあ付箋にでも書いて貼っとけば」
あっ、うん。レンタルもあるしね。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳







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