青崎有吾(あおさきゆうご)
弟から聞いた話を、二つばかりご紹介します。
我が家は三兄弟で、一族にとっては不幸なことに僕が長男なのですが、ここに登場しますは八歳年が離れた一番下の弟です。育ちざかりの八歳差というのはなかなか侮れないもので、僕が二十歳になったとき彼はまだピカピカの中学一年生でした。
入学してすぐ、数ある部活の中から弟は迷わずサッカー部を選びました。小学校からサッカーをやっているのです。爽やか少年です。朝練がきつい、顧問が厳しいなどと愚痴りながらも毎日朝早く出かけて、夕方ごろに帰ってきます。
そんな小さな弟が、ある日僕に言ってきました。
「お前、スパイクって知ってるか。サッカーするときに履く靴」
「それくらい知ってるに決まってるだろ」
「長友の移籍チームは?」と聞かれて「長友って誰?」と聞き返すような兄ですから、当たり前の知識にも見栄を張ります。
「じゃあこれは知ってるか。そのスパイクは、練習が終わるたび家に持って帰らなきゃいけないんだ」
「なんで?」
「盗まれるから」
詳しく聞くとこういうことでした。
地元の中学校は部室もロッカーもなく、サッカー用具の倉庫は先輩たちが荷物を置くだけで一杯。しかも運動部の練習が終わるころには昇降口も閉まってしまいます。要するに、新入部員にはちゃんとした靴の保管場所がないのです。
上履きならともかく高級品のスパイクシューズ。そのへんに置いて帰って、誰かに勝手に履かれたりしたら困ります。
「そういえば僕が中学のときも、サッカー部は靴を持って帰ってたっけ」
「だろ? でも、実はおれだけは持って帰らなくてもいいんだ」
「え、なんで?」
「なんでか当ててみろ」
生意気な口ぶりですが、僕は乗せられて考えました。
なぜ弟だけ靴を持って帰らなくともいいのでしょう? どこかに秘密の隠し場所を見つけたのでしょうか。防犯対策で靴に画鋲でも仕込んだのでしょうか。それとも先輩たちと一緒に倉庫を使わせてもらっているのでしょうか。特別扱いされるほどサッカーが上手だとは思えないのですが。
わかりません。
降参すると、弟は足を突き出して言いました。
「おれの靴を盗んでも、履ける奴がいないからだよ」
ああなるほど、と僕は小さな弟を──平均的中一男子と比べてもかなり小柄な方の弟を見て、うなずいたのでした。
そうです、小柄な弟は足のサイズも当然小さく、そのスパイクを履ける生徒なんて周りに一人もいなかったのです。それなら勝手に履かれる心配もありません。体格のハンデを逆手に取った画期的アイデア……といえるかどうかはわかりませんが、結局弟は先輩が引退するまでその保管法(というか放置法)を続け、今日も同じスパイクで部活に精を出しています。まだレギュラーにはなれていないそうですが。
それからもう一つ、二本のジュースのお話。これはスパイクよりも前、弟が小学生だったころに聞いた話で、しかも先にいってしまうとリドルストーリーです。いまだに答えがわかりません。皆さんも考えてみてください。
いつものように部屋で寝転がって漫画を読んでいると、「引きこもるな、大仏!」などと言いながら弟がやってきました。心外です、別に引きこもってはいません。ちなみに大仏というのは家での僕のあだ名で、ずっとベッドでゴロゴロしてる→ベッドから動かない→ベッドの上の置物のようだ→ベッドの銅像→仏像→大仏、という連想を経てこう呼ばれるようになりました。自分で書いていてわけがわかりません。
それはともかく、弟は喋り始めます。
「今日、友達と一緒に帰ってたら、販売機の前でジュースの入れ替えしてるお兄さんがいたんだ」
「昼どきにはよくいるな」
「そしたら友達が、そのお兄さんの方に近づいてって、なんかこしょこしょ話しかけたんだよ」
「耳打ちしたのね。それからどうした」
「変なことが起きた」
「変なこと?」
「お兄さんがさ、笑って『好きなの押していいよ』って言ったんだよ」
「え?」
「で、おれたちにボタンを押させて、ジュースをくれたんだ」
「……え、タダで?」
「タダで。内緒だぞ」
もう時効なのでばらしてしまいました。
廃棄にするジュースをくれたのだろうかとも考えたのですが、もらったのは入れ替えたばかりの新品だったといいます。どんなに気の良い大人でも、仕事中に、しかも見知らぬ小学生相手にジュースを奢ってくれるなんて思えません。
なぜ弟たちはジュースをもらえたのでしょうか? いやなぜというよりも、その友達は作業員のお兄さんに何と囁いたのでしょうか? 弟に聞いたら「おれも知らん」と突っぱねられました。たった二言か三言のはずの魔法の言葉が解明できず、今でもときどき思い返して悩みます。
でもやっぱりわかりません。無念、推理力が欲しい今日このごろです。
謎を見出すのに必要不可欠な「遊び心」を忘れていないからでしょうか、僕らの退屈な日常と比べると、弟たち小中学生の日常にはずっと多くの謎が溢れているように思います。さすが「日常の謎」の本場なだけある、と時々実感させられて、羨ましくなります。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳