日明 恩(たちもりめぐみ)
夏のある日、アパート経営をしている知人から、画像付きのメールを貰った。角度や大きさを変え、何枚も送られてきたのは、細い茎に大きいが薄い花びらの赤い花の画像だった。
「住人の一人が転勤に伴って退居した。部屋の清掃は業者に任せているが、庭は手付かずだったので、自分で草取りをしているのだが、気になる花があるので、見て貰えないか?」だそうだ。
どう見ても観賞用のポピーなので、すぐさま電話で返事をすることにした。知人が出るのを待つ間、送られてきた画像を眺めているうちに、あることに気づいた。
赤い花の背景に、隣の部屋の庭に咲く赤紫の花が写り込んでいたのだ。
電話に出た知人に、まず写真の花はポピーだろうと告げる。安堵する知人をよそに「隣の庭の花の画像も送って欲しい」と、つづけた。理由を問われたが「とにかく送れ」と、押し切った。
待つことしばし、画像が届いた。背の高い茎に赤紫の釣り鐘型の花が列んで咲いている。花のアップの一枚をしげしげと眺める。花の中には、花びらの色より濃い斑点が浮かんでいた。綺麗というより毒々しさを感じさせるその花の名を、私は知っていた。キツネノテブクロ、またの名はジギタリスだ。
ジギタリスの全草に含まれるジギトキシンは、心不全や心房性不整脈患者に投与される薬でもあるが、過剰摂取は死を招く。十ミリグラム、葉の十枚ほどで人の命を奪う毒草、それがジギタリス――キツネノテブクロだ。
もっとも栽培することは違法ではない。寒さに強く、観賞用として人気であることも知っている。
もしかしたら、ただキツネノテブクロが好きな住人なのかも、そんなことを考えていた私の耳元からは、返答を急かす知人の声が響きつづけている。
正直、答えに窮していた。一本のポピーを見て「芥子の花か?」と騒ぐ相手なだけに、隣の庭の花が毒草だとは言いづらかったのだ。
再び画像を眺めつつ、どうしたものかと悩んでいるうちに、さらにあることに気づいた。プランターに植えられた背の高いキツネノテブクロの花の奥に、別な植物が地植えされていたのだ。
濃い緑の大きな葉の間に咲く、五角形の白い花。私はその花を知っていた。
かつて大学病院で乳癌専門医の下で働いていたときのことだ。上司に届く学会誌の表紙に、その花は使われていた。
世界初の全身麻酔による乳癌摘出手術を華岡青洲が行ったときに使用した麻酔薬「通仙散」の原材料であるその花――朝鮮朝顔を、日本乳癌学会がシンボルマークにしていたからだ。
またも画像を送れと言った私に、何かを察したのだろう、知人はすぐさま画像を寄越した。
改めて見ると、花は白ではなく薄紫色だった。チョウセンアサガオでなく、ヨウシュチョウセンアサガオだったのだ。
もっとも同種であることには変わりはなく、全草にアルカロイドの一つであるヒヨスチアミンを含み、キツネノテブクロ同様、葉や種十ミリグラムで人の命を奪う毒草だ。
庭を見れば、創った人のことが判る、そう言ったのはガーデニング好きな友人の一人だ。
では、キツネノテブクロとヨウシュチョウセンアサガオしかない庭を創る人は、いったいどんな人物なのだろう。
私は知人にすべてを打ち明けたうえ、住人について訊ねた。驚きはしたものの、知人は記憶をたどって答えてくれた。
その部屋には、四年前から両親と男の子三人の五人家族が住んでいる。引っ越し当初は第一子のみだったが、年月を経て、第二子、第三子と家族が増えた。
夫は都内の会社勤めで、朝早く家を出て夜遅く帰る。休日は家庭サービスも厭わない良い父親。妻は専業主婦で、三人の男の子相手に実によくやっていて、顔を合わせればきちんと挨拶する、笑顔の可愛い人。家族も大変仲が良く、いつも明るい笑い声が絶えない。
説明を聞いて、改めて謎を持った。
幼い子供、それもわんぱくざかりの男の子ばかりの家の庭に、毒草を植えるだろうか――。
念のために、いつ誰が庭を創ったのかと、花が終わった時期の庭がどうなっているのかも訊ねた。違う花も育てているかもしれないと思ったからだ。
答えはこうだった。庭いじりは奥さんのみで、庭を創ったのは次男の出産後。プランターを買ったのは、その翌年で三男が産まれたあと。秋から冬は何も育てていず、庭は閑散としている。
さらにこうも付け加えた。
「あの白い花、次男誕生の記念として植えたって言っていたわ」、と。
なぜ彼女は子供が生まれる度に、庭に毒草を植えたのだろう。何を考えて水をやり、花開かせたのだろうか?
ただ単に花として好きなのか。まさか、何かに使おうと画策している?
それとも、これがあれば大丈夫という心の支え、いざというときのお守りにしているのだろうか。
頭の中に、あの歌の一節がよぎった。
『メアリ、メアリ、へそ曲がり。あなたの庭はどんな庭?』
送られてきた画像を見ても、答えは判らない。そこにあるのは美しく咲いた花だけだ。
灰色の脳細胞とカイゼル髭を持ちあわせない私には、幸せな妻で、三人の男の子の母親である彼女が、なぜ庭で毒草だけを育てているのかは判らない。
ただ、彼女の庭に花が、花としてただ美しく咲きつづけることを祈るばかりだ。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳







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