谷川 流(たにがわ ながる)
「日常の謎」と言えば真っ先に思いつくのが本格ミステリモチーフの一つにある単語という事実であり、また各種様々な「日常の謎」系ミステリ作品において、僕の脳ミソが最も印象強く残しているのが創元推理文庫から出た『競作五十円玉二十枚の謎』(若竹七海ほか・著)です。
あまりに有名なエピソードでしょうから詳細を述べる手間を放棄させていただきつつ、なぜ僕がこれほど当作品をいまだに念頭におき続けているかと申しますと、実は僕も作品中に登場する謎の両替男とほぼ同じ行動を取ったことがあるからでした。まさしく僕も、かの挙動不審な男性と同様に小銭を握りしめては近くの店に足繁く通い、もっと大きな貨幣に両替してもらっていたという歴史を有しているのです。もっとも僕の場合は、五円玉二十枚で百円玉に替えてもらうという、比較して遥か十分の一にスケールダウンしたシロモノでしたが。
以下にその顛末を記します。ある種の犯罪告白となるかもしれませんが、それは当時、僕がモノの道理もろくすっぽ理解していなかった小学生低学年時代のアホの子の頃だったということで大目に見ていただければ幸いです。
ある日、実家の押し入れをまさぐっていた僕は、大きな竹筒を加工した手製の貯金箱を発見しました。空いている穴は硬貨を投じるわずかなスリットのみ、金銭を出そうとするにはノコギリで筒を破壊しなければならないというやっかいなもので、かねてから小遣い不足に喘いでいた僕にとってそれはまさに宝の葛籠と同義でありました。何とか中身を取り出せないかとたちまちのうちに浅知恵を巡らせ始めるのもむべなるかな。やがて燦然たるアイデアが降り注ぐのを感知した僕は、すぐさま救急箱を探し出すと、ピンセットを握りしめて貯金箱に相対することになったのです。なにしろ親にバレないようにとの一心で物陰に身を潜め、スリットからピンセットを差し込んでは一枚一枚を慎重に抜き取っていく僕の姿は、やれやれ、客観視すれば何やら涙ぐましいものがあります。
しかしながら、僕のはやる思いはすぐに落胆へと転じました。よりにもよって貯金箱には五円玉と一円玉ばかりがひしめきあい、たまにあって十円玉、奇跡的に百円玉が混じっているという、お世辞にもあまり景気のいい貯蓄状況ではなかったからです。
今でもそうですが、一円玉と五円玉は使いがってがいいものではなく、なんせガチャガチャもできなければ自動販売機も受け付けてくれません。そこで僕は一計を案じました。
なにぶん一円玉は細かすぎる。細い隙間から十円玉と百円玉をピンセットの先で探り当てるのは困難を極める。そのためその他の硬貨は潔く断念し、貯金箱内含有率が最も高い五円玉をせっせと取り出すことにしたのです。そして首尾よく二十枚が貯まるや、即座に近くの駄菓子屋へと走り、百円玉硬貨一枚と交換してもらうという僕の行為には何の躊躇いもなかったのは言うまでもありません。
よく考えたら駄菓子なりを購入するくらいならわざわざより大きな硬貨に替える必要はなかったのですが、そこはアホの子だった僕のこと、その時の百円玉には単なる金銭以上の価値を見いだしていたのです。なによりガチャガチャに使用できるのはとてつもなく大きな魅力でした。
さて、このように味を占めた僕は以降、何度かにわたって五円玉抜き取り作業に従事すると、小銭をジャラジャラいわせながら駄菓子屋におもむき百円玉に交換することを定期的に実行、思う存分遊興費に充てていたのですが、そう長続きすることもなくこの習慣も終わりました。さすがに見かねたか、駄菓子屋のおじさんに「うちは両替所ではない」とヤンワリ諭され、ついにエクスチェンジを拒否されたからでした。あきらめの早さでは人後に落ちない僕はさわやかに家庭内小銭ドロとそれに伴う換金作業を停止し、以来、その貯金箱相手にピンセット片手に格闘することはなくなって、しばらくしてからは存在すら忘れてしまい、ついでに言うと今もそれがどこにあるのか知りません。
―という、そういう感じの幼少期におけるイタい経験が『競作五十円玉二十枚の謎』を読んだときに薄れかけた記憶の淵から浮上してきたわけでして、さては作中の両替男氏もまた、かつての僕のように「小銭はいっぱいあるがそれでは使いづらい」という何らかの理由があったのではないかと想像したものでした。五十円玉では役に立たないが千円札になると重宝するような何か……えー、パチンコ店で札を玉に替える機械とかでしょうか。
それはともかく我が薄氷を踏むがごとき人生を顧みるに、僕はどんな些細なものでも精神が高揚するような「謎」を追い求めていたように思います。小学生時代、同じようにミステリ小説の愛読者で探偵ものにかぶれていた田中くん(仮)とともに、何でもいいから推理できるようなものはないかと近所をウロウロしていたのも今では陽炎のように淡くなった昔日の思い出であり、結局謎的事象に鉢合わせすることは皆無もいいところでしたが、それもこれも含めて今の自分があるのだと思えば、きっぱりあきらめもつくというものです。
ちなみに己のこの体験を元にして僕も一作ヒネリ出そうかと考えるだけはしてみましたが、あんまりにもショボイ話なのでなかったことに。
それにしても、五円玉を大量に持ってきて百円玉に替えてくれとせがむガキんちょを見て、あの時のおじさんはいったい何を思ったでしょうか。今度尋ねておくことにします。覚えていてくれたらいいのですが。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳