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『グレープフルーツとお稲荷さん』阿部智里|日常の謎|webメフィスト
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日常の謎

グレープフルーツとお稲荷さん

阿部智里(あべちさと)

 私の通学路には、ちょっと不思議なお稲荷さんがある。

 規模こそ小さいものの、一見、よく手入れをされていて、好感の持てるお稲荷さんだ。由来も古いらしく、境内にはとても大きなご神木がある。その雰囲気が気に入り、週に一度は必ず参拝するようにしていたのだが、近頃、どうにも気になる事があるのだ。

 なぜだか、グレープフルーツが、供えられているのである。

 最初見た時、自分の目を疑った。なにゆえグレープフルーツ。それも、赤ちゃんの頭くらいある立派な物だ。最寄りのスーパーで買えば、一三八円はする代物だと思う。それだけのお金があるなら、油揚げの一つでも買えば良いではないか。

 しかも一週間後、再びお稲荷さんに立ち寄った私は、五円玉を賽銭箱に投げ入れようとして、例のお供え物が分裂している事に気が付いた。いや、そんなまさか。思わず二度見して、確認した。前回の、ちょっと萎びた果実に加え、ぴちぴちと瑞々しいのがもう一個増えている! 

 思わず頭の中で、そろばんを弾いてしまった。前回の物と合わせて、二七六円の出資。一週間に五円のお賽銭を入れる私が、五十五回の参拝をしたのと同じ計算になる。

 なんなのだろう。これをお供えした人は、グレープフルーツに何か強い思い入れでもあるのだろうか。どうにも納得がいかなかったが、この答えは、次の週に明らかになった。

 今日もグレープフルーツがあるかなと期待していた通り、黄色の球体はそこにあった。ただし、それは祠の所ではなく、私が歩みを進める、石畳の上にあった。どうやら、これは置いてあるのではない。落ちているようだ。

 ここに至って初めて、私は『上を見る』という行為をした。そこには、ご神木の枝葉の緑に紛れるように、白い花と、鮮やかな黄色が見え隠れしていた。なんて事はない。グレープフルーツの木、そのものが境内にあったのである。

「なんだ、自家栽培だったのか。あんまり実が立派なので気付かなかった」と、すっきりした気分になった。

 翌週、今度はグレープフルーツに加え、油揚げが奉納されているのを見つけた。

 お稲荷さんへのお供え物としては、極めてまっとうであると言える。

 ただし、袋の口が開いた状態である点を除けば、であるが。

「え。なんで?」

 思わず声が出た。

 見るからに、使いかけ、というか、食べかけである。初めから奉納する気で買ったのなら、丸ごと置けば良いのに、どうして、微妙に中身が減っているのだろう。それとも、一人暮らしの氏子さんが「こんなに食べきれないので、お裾分けで悪いのですが……」と持って来たのだろうか。

「わざわざ買った、たった三枚の油揚げを、食べきれないなんて事があるのか?」

 腑に落ちなかったものの、そういう人がいないとも限らない、と自分に言い聞かせるようにしてその日は家に帰った。もしかしたら、ものすごく小食の氏子さんだったのかもしれないではないか、うん。

 いささか身元の怪しい奉納品があってから、しばらく経ったある日の事。

 ―今度は、食べかけのオムライスが奉納されていた。

 もう一度言おう、オムライスだ。それも今度こそ、正真正銘の食べかけである。絶句するとはこの事だ。コンビニで売られているタイプで、蓋だってきちんとついていた。それなのに、中身は少しだけ無くなっているのである。奉納品に、食べかけオムライス。これは一体何があったのだ!

 油揚げの時と同様、めちゃくちゃ小食で、お稲荷さんへのお裾分けをライフワークにしている氏子さんが再び登場したのかと思った。だが、何日かして行ってみると、オムライスは完食された状態で、からっぽの容器だけがゴミ箱に捨てられていたのである。

 分からなかった。今度こそ、どう考えても分からなかった。意味不明過ぎて「私はもしや、とんでもない思い違いをしていたのではないだろうか」という考えにまで行き着いた。つまりは、グレープフルーツも油揚げもオムライスも、奉納した側ではなく、奉納された側の問題だったのではないか、と。

 ここはお稲荷さんだ。それも、山手線の輪の中、花の都東京の中心部である。鎮座ましますお稲荷さんが、主食が油揚げで最近のトレンドがオムライス、食後のデザートにグレープフルーツを好むハイカラさんであったとしてもおかしくはない。突飛な考えに思えるかもしれないが、そうだとすれば、全ての謎に答えが出る。

 グレープフルーツの木にしたって、売り物と間違うくらい立派な実が生る苗木は、それなりに値の張るものなのだ。それを、お稲荷さんの狭い境内に選んで持ってくるあたり、かなりのこだわりがあったに違いない。油揚げもオムライスも、お食事中に私がお邪魔してしまったならば、袋が開いていた理由も、食べかけだった説明もつく。祠の横に佇む二体のお狐さんが、主にパシられて人に化け、コンビニまで走る様子が目に浮かぶ。私がやって来た時、閉ざされた祠の奥で、お稲荷さんが慌てて口元を拭っていた姿を想像すれば、これが一番しっくりくるような気がした。

 最初にグレープフルーツを見つけてから、既に一年以上が経過している。しかし未だに、お稲荷さんが犯人だという証拠も、犯人ではないとする証拠も出て来ていない。だから私は、毎日お稲荷さんの前を通る度に、この推理を裏付ける、または覆す、新しい手掛かりを探しているのである。

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