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『囲いの中の日常』門前典之|日常の謎|webメフィスト
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日常の謎

囲いの中の日常

門前典之(もんぜんのりゆき)

「地下鉄車両はどこから入ったのだろう? それを考えると夜も眠れなくなってしまう」という漫才ネタがあるが、同じような謎として、工事中のビルの屋上から突き出ていたはずの(定置式)タワークレーンが、いつの間にかなくなっているというものがある。一体いつどうやって、消えてしまったのだろうか?

 9月に台風15号が日本列島を縦断した。大雨による土砂崩れが起き、多くの死者が出たあの台風だ。都内も直撃され、強風をも伴った台風被害は、都内だけで二百数十本の倒木があったと報じていた。渋谷で折れた街路樹がタクシーを直撃したニュース映像は衝撃的だった。そのとき、私は世田谷区の建設工事現場にいた。130年の古い歴史を持つ病院構内で、新築病院を造っているのだ。広い構内には10mを超す高木が100本以上あり、樹齢も古い。その中の公道に面した1本は、「r」字の形をした松の木で、20m近くある。その水平に伸びる主枝 が折れ、工事現場仮設入口である門型ゲートの上に落ち、鋼製のゲート枠が「M」の字に曲がってしまったのだ。太い幹から二分するように伸びた主枝は、根本で周囲1.5mもあり、長さは7mあった。折れたとは記したが、完全に折れたわけではなく、3分の1ぐらいは繋がったままで、門型ゲートの中央に身を預けるような感じで、なんとも不安定な格好で宙に浮いているのだった。いつ何時、バランスが崩れて倒壊してもおかしくない状態だった。雨はそれほどでもなかったが、風は依然として強く、時刻は午後5時半になろうとしていた。

 まず、周囲をバリケードで囲い、立入禁止措置を施す。落下・倒壊で怪我人を出さないためだ。次に門型ゲート、主枝双方にロープを巻き付け、敷地内に引っ張る。歩道側に倒れれば、第三者に迷惑をかけてしまうからだ。続けて、高所作業車に乗り込み、丸ノコ(丸型電動ノコギリ)を使って小さな枝を払っていく。高所作業車は常駐していたし、丸ノコも殆どの建築現場にはまずある。一連の作業の大半は鳶工が行ったが、彼らは現場監督である私たちが何もいわずとも帰り支度を止め、再び作業着に着替えると黙々とこなしたのだ。他にも何かできることはないかと申し出る者もいた。

 その間私たちは、チェーンソーを手配し、同様にクレーン車をも手配した。チェーンソーが早々に届けば、太い枝をコマ切れに分断し、クレーン車の出番はなくなるが、クレーン車が先に到着した場合、7mの枝を吊り、時間はかかるが根本を丸ノコで切断すれば、1本もので撤去できる。要はいち早く撤去できる方法を天秤にかけたわけだ。丸ノコは板を切るのには便利だが、生木には向かない。

 小枝が払われて剥き出しになった主枝と折れ曲がった門型ゲートは、数本のロープで引っ張られ、仮設照明の許に晒された。切り落とされた小枝もすでに片付けられていた。ここまでは順調だった。

 時刻は6時を過ぎ、台風の影響で鉄道各線がストップし、おかげで道路は大渋滞となり、クレーン車もいつ到着するかわからない。チェーンソーを積んだリース会社の配送車も同じ状態だ。明日もここに700人近い作業員が集う。メインゲートが潰れたままでは、工事の予定が大きく狂うことになる。彼らの仕事を奪うわけにはいかない。だから、何が何でも明日の朝までにかたを付けなければならなかった。台風は過ぎつつ、風も収まりつつあったが、このままでは帰れない。

 さて、ここで私は何トンのクレーン車を手配したのか? 何トンというのが吊れる最大荷重を表し、これがクレーン車の能力となる。勿論距離(作業半径)によって吊れる能力は異なり、重いものをより遠くから吊ろうとすれば、それだけ大型のクレーン車が必要になるのだ。だから、折れた主枝の荷重とクレーン車を設置できる場所と主枝との距離が分からなければ、手配できない。安全を見込みすぎて吊り能力の高いクレーン車を手配するのは簡単だが、無駄だし恰好が悪い。緊急事態とはいえ、リース料金だって安いにこしたことはない。作業半径は、現場を見れば一目瞭然。10m程だ。問題は折れた松の枝の荷重である。見た目で荷重を推理しなければならないのだ。

 荷重は容積(体積)×比重で導き出せる。容積は円周1.5mの高さ7mの円柱とみなし算出する。あとは比重が分かればいい。コンクリートは2.3。鉄は7.8。日常的に使うものの比重は頭にある。だが生きた木となると分からない。ゆっくり調べている時間はない。即断即決が腕のみせどころなのだ。そのとき流木が川に流される映像が頭に浮かぶ。水に浮く以上、水より軽いはずだ。水と同じ比重1を見込んでおけば充分ではないか。要は人間と同じなのだ。人間の体も70%ほどが水分だから比重1を当てはめることができる。例えば60?の人は60Lだということ。また、同じ見た目の人間を鉄で造ったら×7.8=468?になる。で、早速計算。誤差を考慮して1.5tと算出した。

 1時間後、クレーン車が来、吊っているところでチェーンソーが届いた。クレーン車載の荷重計では、1tもなかった。枝の切り口を見ると、内部が空洞になっていた。これが軽さの原因。また空洞であるが故に折れたわけで、樹齢が尽きかけていたのだ。

 さて冒頭の問題の答えは、タワークレーンより一回り小さなクレーンを屋上に建て、その子クレーンで解体する。そして、更に一回り小さな孫クレーンを組立て、子クレーンを解体する。残った孫クレーンは人力で解体し、EVで降し搬出する。それぞれ搬出には大型トラックが必要なので、作業は夜間に行われることが多い。だから気付かれない。

 工事現場の仮囲いの中で行われる行為は、一般の人から見れば、非日常の世界であるらしいが、中の住人にしてみれば日常の行為なのである。

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