丸山天寿(まるやまてんじゅ)
日常の謎についてエッセイの依頼。少し困った。大河小説では駄目だろうか?
周りに謎が多すぎる。私は昔からあらゆる物に疑問を持つ性格なのだ。
やはり一番の謎は人間だろう。案外周りの人物の事を知らないものだ。いる、私の周りにも。謎の人が。
猫語を話す人(人付き合いは悪いのに猫は集まる)。八百比丘尼によりも長生きしている人(職歴を自慢するが、それを足して行くとその位の年齢になる)。会う度に違う配偶者を連れている人(何回結婚したのだろう)。七色の名刺を使い分ける人(肩書きが同じなのに全て名前が違う)。
中でも一番の謎はS君。実に怪しい。
と言っても月夜に変身はしないし、官憲に追われているわけでもない。陽気で話題も豊富、人付き合いも上手い男だ。
私の古本店にもよくやって来て世間話をした上、いくらかの本を買ってくれる、というとても良好なお付き合い。
だが、二年程前(まだ小説を書いていない頃)、ふと気になった。
彼との付き合いはいつからだろう?
同窓会で出会い親しくなったから、同窓生らしい(?)。らしい、と言うのは、私には学生時代の彼の記憶がないのだ。
同窓生は四百人程いる。全員を知っているわけではないが、こんな味のある男を見逃す筈がない。
私は記録魔だから、学生生活を詳しくノートに綴っているが、彼の名前はただの一行も出て来ないのだ。
アルバムに彼の名前はあるが、それが本人であるかどうかは分らない。四十年も経つと面影も変る。
さらに怪しいのは彼の職業だ。
ある時は犬のブリーダーの名刺を持っていたし、夜の繁華街でラーメンの屋台を引いているのを見た事もある。
つい先日は某企業の社宅で蜂の巣退治をしていた。
同窓会で会う度に服装や雰囲気が違うし、仕事の話を全くしない。
馬鹿話はするが、住所も言わないし、妻子についても語らない。
考えると、気になってしょうがなくなった。
同窓会で彼と長く談笑している友人がいたので、彼がトイレに立った時、それとなく「あいつ、学生時代はどのクラブに入っていたかな?」と聞いたが、その友人も知らないと言う。
「何故そんな事を聞くのだ?」
「いや、最近昔の事が思い出せない。あいつ、間違いなく同窓生だよな。関係のない者が紛れ込んでいるなんてぇ事は……」
「馬鹿。身分を偽り会費を払ってこの同窓会に来るメリットが何処にある?」
言われてみたらその通り。大して名の有る学校ではなし、卒業生のふりをしても何の得もない。
物を売りつけてもいないし、宗教や何かの会に勧誘しているわけでもないのだ。時々、女の子を口説いてはいるが、シャレの範囲内。カラオケに行って盛り上がる程度だ。
彼は一体何者だ?
私の好奇心が頭をもたげたが、警察や探偵事務所を使うほどの事もあるまい。自分で調べてやろう。
その日はたらふく飲ませた。男は酔うと本音を吐くものだ。吐かなくても、「家まで送る」手がある。
男の本質は、仕事場と家庭に現れる。仕事場が分らなければ家族に会えば良い。家族と話をすればたいていの事は分る。
だが、彼は隙を見せない。全く酔い潰れる事もなく、いつのまにか居なくなっていた。見事な消え方だ。
一寸、いや大変に怪しさが増した。
そこで翌日、同窓会の事務局に電話をして住所を聞いた。用のある振りをして訪ねてみよう。
ところが、そこの事務員は「それは個人情報ですから、教える事は出来ません」と言う。
誰だ、「個人情報保護法」なんて法律を作った奴は。
あんな怪しい男を守るのか。
万策尽きた私は、本人に直接アタックする事にした。謎を抱えているのは耐えられない。
だが、流石に「お前は誰だ? 正体を現せ」と怒鳴るのは憚られる。そこで、私の店に来た時にそれとなく尋ねた。
「最近の景気はどうだ?」
「まぁ、ぼちぼちだな」
「そうか。見たところ金回りが良いようだが、このご時世だ。美味い話があったらわしにも回してくれんか?」
すると、S君は、こちらの心を見透かしたように「わはは」と笑った。
「お前、俺の職業を知らないのか?」
「知らん。何でも屋かと思っていた」
「ちがうよ。だが、一言では説明出来ないな」
「じゃ、二言で説明してくれ」
「いいよ、だが俺も前からお前に聞きたい事があった。それに答えてくれたら俺も話す」
「おお、いいとも。何でも答えてやる」
私には秘密など何もない。ただの古本屋だし、妻は同窓生だ。
昔の行いは全て時効だ(と思う)。
「あのな、俺はこの店で、他の客に会った事がない。本が売れている様子もない。お前、どうやって生活しているのだ?」
「げっ」
それは駄目。当店の企業秘密だ。黙りこんだ私を見てS君はニヤニヤ笑い、
「お前の方がよほど怪しいぞ」
と言いながら店を出て行った。
そんなわけで、二年経った今もまだ彼の正体を知らない。
妄想は膨らむばかりだ。
悔しいから、もし現代ミステリーを書く機会があったら、彼をモデルにしてやろうと思っている。
小説ならば、勝手な想像と謎解きが許されるに違いない。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳