相沢沙呼(あいざわさこ)
音楽室から、マウスピースが盗まれた。それとほとんど時を同じくして、スパッツを盗まれたと訴える女子生徒が現れる。
友人が勤める小学校での盗難騒動の話だ。彼女の職場では、僕らが想像している以上に、不思議でいたずらな事件が発生するらしい。
マウスピースは、単品でも高価だから、学校は大騒ぎだ。電話越しに友人はこう言った。
「同じ時間に、まったく違う盗難事件が連続発生するなんて、偶然にしては奇妙じゃない?」
これが安楽椅子探偵だったら、詳しく事情を聞いて、見事な解答を導き出せるのかもしれなかったけれど、少なくとも自分にはそういう才能がないみたいで、うーんと唸るしかない。確かに、単発ならば学校でありがちな盗難事件に過ぎないが、別に偶然で片付けてしまってもいいんじゃない?
「わかった!」僕は、真っ先に思い付いたことを口にする。「犯人は、その歳にしてちょっと変な趣味に目覚めてしまった男子で……。つまり、被害者二人の子は可愛かったんでしょう?」
そう言ったら電話越しに変態と罵られた。僕がやったわけじゃないのに。
「それがね、犯人、女子っぽいんだよね」
彼女が言うに、スパッツは既に発見されているらしい。その場所は、女子トイレの個室窓から見下ろしたところ。なるほど、そこからスパッツを投げ捨てたのなら、男子の犯行というのは考えにくいだろう。いやがらせのために、スパッツを盗んでトイレの窓から捨てたと考える方が自然だ。
「なにか他に、容疑者を絞り込めるような証拠があればね」僕はあくびをかみ殺して言った。
「証拠って、たとえば?」
「ミステリだと、定番のパターンは、『秘密の暴露』だ」
僕は彼女を煙に巻こうと、適当なことを言う。しかし、意外にも彼女は乗ってきた。
「あ、あれでしょ。知ってるはずのないことを知ってて、それをうっかり口にしちゃうっていう」
「そうそう、それ。なにかない?」
聞きながら、そんなにうまく行くはずないよね、推理小説じゃあるまいし、なんて考えていた。
「あ、そういえば」なにか気付いたらしく、彼女は興奮したように勢い込んだ。
「一緒にスパッツ探した子なんだけど、トイレに入って、まっすぐに個室へ向かって、窓の外を見下ろしたんだよ。それで、先生、見つけたーって。トイレには用具入れとかゴミ箱、個室だって他にもあるのに。あの子、なんか怪しい」
なるほど。複数ある個室の一つを選んで、他の場所に目もくれず窓の外を覗くというのは、犯人でないとできない行動かもしれない。自分がやったいたずらの第一発見者になろうとするなんて、小学生らしい思考とも言える。
その日は、「よし、スパッツ事件は容疑者絞り込めそう!」となって、電話が終了した。
後日、また彼女から連絡があった。
「現実は推理小説みたいにうまくいかないねぇ……」
声は落ち込んでいた。どうやら、スパッツ事件の容疑者を、どうやって自白させるべきかで悩んでいるらしい。もし彼女の推理が間違っていれば、それは冤罪になってしまう。生徒の繊細な心を傷つけ、裏切ることになる。立場上、だいぶ慎重にならざるを得ないだろう。必要なのは証拠だったが、トイレでの行動だけでは弱い。そりゃ、推理小説では通用するかもしれないけれど、現実の事件に適用するのは無理でしょ。
「こういうとき、推理小説っていいよね。理詰めで犯人を問い詰めていくと、犯人って勝手に自白してくれるじゃん。でも、相手は小学生だよ? 理論なんか通用する相手じゃないもん。前にも似たようなことあったんだよね。明らかに嘘ついてたり、証言をころころ変えたりして。そこをどんなに理詰めで攻めたって、『あたしじゃありません』の一点張りで通されたらさ」
マウスピースも見つかっていないし、どうにか、犯人を見つけないといけない。そもそも、二つの事件は同一犯なのか、それとも、複数犯なのか? たんに、たまたま別の事件が同じ時間帯に起きてしまっただけ? 五分と間を置かずに? 彼女の推理を聞きながら、小学校で奮闘する新任教師のミステリって面白そうだなぁ、と勝手に構想を膨らませていた。けれど、もし本当に名探偵がいたとしても、そのロジックが小学校で通用するとは限らないのだ。
子供は理屈で行動しないから。どんなに証拠を積み上げたって、泣いて否定されることもある。そもそも、探偵の推理がすべて正しいなんて保証が、どこにあるだろう? 名探偵ってやつは、いったいどんな権利があって、机上の空論で犯人を追い詰めようって言うんだ?
残念ながら、この話に後日談はない。結局、マウスピースは未だに見つかっていないし、スパッツ事件の犯人もわからないままだ。
これは推理小説ではないし、本当の日常の謎だから。
どんなに正しい理屈を並べても、誰かが正解を認めてくれるなんて保証は、フィクションの中にしか存在しないのだ。
「あの子ね、言ってることもでたらめだし、凄く怪しいんだ。でもね。前に、わたしの授業で、初めて割り算が理解できるようになったって言って、笑ってくれたの。嬉しかったなぁ」
僕は彼女の言葉を聞きながら、学校に必要なのは、きっと名探偵なんかじゃないんだろうなと考えていた。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳







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