桜木紫乃(さくらぎ しの)
あたくし、ストリップが大好きです。いや、自ら脱ぐのではなく(齢四十五、出産二度の段腹はチラ見せでも充分犯罪)、あくまでも客席で見るストリップであります。
なんでもありの性産業が溢れかえる世の中に、なぜまだ「見るだけでいいんだ」という風俗が存在するのか。「触りたくないのか」「客はみなマゾではないか」。いやいやちょっと待ちなはれ、そこがこのたびのキモなんですわ。
サクラギのシマは長いこと札幌道頓堀劇場でした(冷え込んだ経済と恥ずかしがりな道民気質が災いして、残念ながら閉館)。
当時、道劇の踊り子さんたちはみな、オナニークイーンの清水ひとみが育てた生粋のストリッパー。ただ踊って脱ぐだけなんて許さないという気概に満ちた、力のある踊り子さんが揃ってました。
ゲストで心に残っているのは「炎のヨーコ」さんでしょうか。日本ではもう何人もいなくなってしまった「花電車」のトップスターです。吹き矢で風船を割ったり、火を吹いたり、割り箸を割ったり。彼女の商売道具はヒジョーに忙しい「アソコ」です。
ヨーコさんの芸のひとつに「スプーン曲げ」があります(念力ではなくマン力だそうです)。
実はあたくし、彼女が使うスプーンが本物かどうか確かめさせてもらったことがある。ふふふ。
「ホンモノでしょ」「はい、間違いありません!」というやりとりのあと、
「はっ!」
威勢のいいかけ声とともにヨーコさんのアソコでぐんにゃり曲げられたのは、CoCo壱番屋のスプーンでした。
劇場のかぶりつきに陣取っているのはたいがい「中年かそれ以上のおじさん」たち。三十代はただの小僧。四十五十はあたりまえ。七十、八十よろこんで。
もう、どんだけ好きなんだという気配プンプンのおじさんたちが、腕組みをしてひたすら触ることのできない裸を見る。触れられないのに、入れ替えナシをいいことに延々と一日居座る。
齢四十五(二度いいました)のあたくしが思うに、女の体は「履歴書」です。二十代には二十代の、三十には三十の、四十には四十の「来し方」がある。三十を過ぎると、舞台に立っているだけでエロいです。
元デブの過去、上半身と下半身のアンバランス、貧乳、垂れ乳、爆乳。多毛に無毛に不感症。男性不信、美容整形、摂食障害、自傷行為、その他諸々。
ステージは彼女たちのコンプレックスや傷の克服、迷いをまったく別のストーリーで語ります。
当然ながらかぶりつきで見ていると、十人十色の過去が見え隠れ。生々しい女の過去を許容できない若い男子にとっては、怖い世界かもしれません。
ただ残念ながら、いつ劇場へ行っても、与えられる愛情に満ちた幸福そうな裸は見たことがないのでした。見せるための裸は、なぜか一抹のさびしさを感じさせます。そこんとこ、ちょっとばかし己のカンを信じてます。
もしかするとかぶりつき一日コースのおじさんたちもこの「与えられる愛情」に慣れていない、不器用な男たちではあるまいか―。
客席のお客様はみんな一様に、幼稚園児のような眼差しで踊り子さんを見ています。舞台の上の彼女たちはまるで「ママ」。触らないのではなく、触れないのです。だってママだもの。神聖なの。
ママは文字通り「むきだしの愛情」で不器用な男たちのハートを鷲掴み。
そんなわけで不思議なくらい、痩せた踊り子さんのステージには魅力がありません。お洋服が似合う体に、裸というコスチュームは似合わないのです。中肉中背か、それ以上じゃないと「動く生の裸」の魅力は出ない。
「アタシのカラダいいでしょう、どう?」ってな気配は、裸になるとすぐに伝わりくるもので、そんなときお客さんは腕の時計を見ます。つまんないから。
見るほうも見せるほうも、ひとしく残酷なすっぽんぽんの世界であります。
劇場へ行くといつも思います。
「踊り子さんの裸は小説」
「嘘を巧みに練りこんだ(ストーリーのある)裸」がストリップ。
ママの愛には「さびしさに満ちた裸の嘘」という、ヒネリの効いたエッセンスがあったのね。包容力って、難しいな。
そういえば過去に一度だけ、天才と賞される踊り子さんのステージに遭遇したことがあります。
当時彼女はまだステージに演り始めて二年の二十歳でした。体が持っている迫力もさることながら、他の踊り子さんたちとは明らかに違う気配。それは彼女の「目」から発せられるようでした。
彼女が舞台の上から見ているのは、客席でも音響室にいる小屋主でもありません。客は彼女が何を見ているのか知りたくて、二十分間ひたすらその動きを目で追います。
脱ぐほうが恥ずかしがれば、お客さんはことさら「いちばん恥ずかしいところ」を見ます。
仕方ない、人の心理です。
天才は、パカッと御開帳(違法)のそのときも、決して「そこ」ばかり見られるということがありません。
「アソコ」を見にきている「アソコ野郎」もなぜか、彼女の前では「目」と「指先」、「つま先や足の裏」に視線を奪われてしまうのでした。(あ、もしかしてこれ、非日常の謎になってないか?)
踊り子は何を見て踊るのか。何を見せ、何を見せないのか―。
その謎を知りたいと思ったあの日から、不肖サクラギ、小説書きをやめられずにおります。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳