小前亮(こまえりょう)
私の勤める会社―らいとすたっふという作家事務所―では、一日におよそ二分の一本の大根を消費する。平均ではなくて、毎日欠かさずだ。
飲食業なら少なすぎるが、一般家庭としては多すぎる消費量である。らいとすたっふの人員は社長以下三名なので、一人あたりにすると、おでんの大根二個分くらいが消費されている計算になる。
そんなにたくさんの大根を何に使っているのか。
締め切りを破った作家を殴るわけでもなく、社判が大根でできていてしかも使い捨てなわけでもない。
当然ながら、食べているのである。だが、一般の日本人は、そしてたぶん世界のどの地域の人も、毎日そんなに大根を食べたりはしないだろう。
ただ一人、らいとすたっふ社員Nをのぞいては。
社員食堂担当として、昼食を作ってくれるNは、近年、「大根おろしダイエット」をつづけている。それで、毎日大量の大根を消費するのだ。
大根おろしダイエット。
発音してみれば、「だ」の力強いひびきが「絶対やせる」という決意をうながし、心地よいリズムが精神を高揚させる。文字にしたときの、漢字、ひらがな、カタカナのバランスも秀逸だ。
たとえば、「りんごダイエット」と比べてみれば、その差は歴然であろう(「巻くだけダイエット」とは互角の勝負だ)。
実際の効果は、というと、なんと成功率百パーセントである。
Nは十キロ以上の減量に成功しており、リバウンドもない(他に実践者はいない)。
この絶大な効果を誇る大根おろしダイエット、やり方はとても簡単である。
昼か夜、ご飯の代わりに大根おろしを食べるだけだ。おかずは普通に食べていい。適度な量なら、おやつに甘いものや煎餅を食べるのもいいらしい。
お茶碗に一杯の大根おろし。不思議な光景である。たとえば、サンマの塩焼きと大根おろし、それにかぼすをしぼって、ほかほかのご飯と一緒に食べる。これは口福というものだ。しらすに大根おろし、醤油をちょっとかけて、ご飯をかきこむのもいい。
だが、Nのお茶碗にはご飯は入っていないのである。
ここで、代表的なおかずとして、鯖の味噌煮を想像してみよう。湯気とともにたちのぼる味噌の香りに包まれて、最初の一切れを口に運ぶ。よくしまった身を囓みしめると、魚の旨みが広がって、甘辛い煮汁とからむ。
そこでほかほかのご飯……ではなくて、冷たい大根おろしである。口中の温度は急に下がり、歯ごたえのなさに、咀嚼が止まる。舌の周りにからみつくような辛味が痛い。刺激が鼻に抜けたら、もはや食事どころではなくなる。
……ご飯と大根おろしの共通点は、白いことだけだ。「おしん」で有名な大根飯を思い起こされる方もいるだろう。あれは雑穀を大根のみじんぎりと一緒に炊いたもので、発想は似ているが、その性質は異なる。
代用品として使うなら、せめて歯ごたえはあってほしいではないか。
とはいえ、大根おろしとご飯の相性はよい。ご飯のお供のなかで、大根おろしとマッチするものもある。
納豆は定番といえよう。昆布の佃煮なども、いけるほうだ。意外なことに、梅干しはよくあう。逆に、塩辛は絶対やめておいたほうがいい。漬け物の類もあわないと思う。なぜわかるのか。それは、かよわい胃を守るため、私もNにつきあって毎日大根おろしを食べているからだ。ただし、これ以上やせると困るので、ご飯は抜いていない。私が食べているのは大根おろし飯めしである。
大根おろしは昔から、「お餅と一緒に食べると胃がもたれない」とか、「蜂蜜と混ぜて飲むと風邪が治る」とか言われてきたように、身体にいいことはまちがいない。
科学的に言うと、消化酵素ジアスターゼが脂質やでんぷんの消化を助け、ビタミンCが体調を整えてくれる。これらは熱を加えると失われてしまうので、大根おろしで食べなければ駄目だ。
Nはなぜか誇らしげに嘆く。「大根が高かったから、一週間ひかえていたら、肌荒れして大変だった」
大根おろしには、肌を美しく保つ効果もあるらしい。
そしてもうひとつ忘れてはならないのは、毎日大根おろしを食べるには、毎日大根をおろさねばならないということだ。
両腕と足腰のトレーニング効果は高いだろう。ちなみに、大根は速くおろすと辛くなってしまうので、ゆっくりとおろさねばならない。
あまりに重労働なので、らいとすたっふでは、業務用の大根おろし機の導入を検討したことがある。何と八十万もするのであきらめたが、五万くらいだったら買っていたかもしれない。
さて、ここまでの説明で、大根おろし飯の効能については理解いただけたと思う。だが、飯抜きの大根おろしは、かなりハードである。ダイエットという目的がなければ、とてもつづけられるものではない。
はたして、大根おろしダイエットは本当に効果があるのか。効果があるなら、ダイエット本を出して、一儲けしたい。
だが、Nは言う。「絶対ダメ」「やっぱり、使用前使用後の写真を出すのが嫌だとか?」「ちがう。そんなことしてブームになったら、私が大根買えなくなるから」
……どうでしょう。本当に効果がある気がしてきませんか?
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳







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