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『ゆがむ顔のカルマ』真藤順丈|日常の謎|webメフィスト
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講談社ノベルス

日常の謎

ゆがむ顔のカルマ

真藤順丈(しんどうじゅんじょう)

 左右対称なものに惹かれる。

 森羅万象のシンメトリック・デザイン――自然の草花や結晶、動物の外形、人工の建造物や紋章。線対称形をそなえたものはおのずと美に接近すると思う。

 人間のカタチも線対称なはずだけど、顔の造形まできれいに線対称な人ってのはなかなかいない。完璧な線対称顔はそれだけで美形というし、マネキン的な無機物さがむしろ無気味に映るとも聞いた。

 鏡を見ると、見飽きた造作がそこにある。

 ナルシスな幻覚なのか、それとも目の慣性なのか、線対称に見えなくもない。ところがどうも他人の目には、シンメトリーとはかけ離れた形に映っているらしいのだ。友人の一部には特殊な眼識なのか異能なのか、会うたびに「ゆがんでいますね、顔」「またさらにゆがんだね」なんて意地悪く嗤う〈ゆがみリサーチャー〉がいて、どうせゆがみに敏いなら政策のゆがみにでも目を向けていればいいものを、僕の顔面のゆがみばかりを指摘する。おまえの眼球にはどんな像が映っているのだと抗議して、似顔絵を描かせたりするとひょっとこのような、草履の裏に目鼻がついたような絵を描くのである。

 いったいなぜ? 顔がゆがみつづけるなんて何かの呪いか? ねじくれた性格の現れなのか?

 どこで負った業だ?

 益体もないがこれは長年、僕にとって恐ろしい〈謎〉であった。このままゆがみつづけていったらどんな面貌になってしまうのだろうと、多感な十代を戦々恐々と過ごしたものである。自分で鏡を見るぶんにはいまいちピンとこないでいられたのだから、〈ゆがみリサーチャー〉の存在はつくづく忌々しい。ところが数年前、僕は初めて〈ゆがみリサーチャー〉側に立つ機会を得た。

 舞台撮影の仕事で知り合った同年代の男の顔が、めっぽうゆがんでいるのを察知して、僕はドキドキした。左斜めにしゃくりあげるひょっとこタイプのゆがみかたで、顔の正中線がほとんど〈J〉の字だ。僕は打ち上げの席でJ君(便宜上そう呼ぶ)に接近し、彼の相好が崩れるのを見計らって、例のフレーズを切りだした。

 懐の深いJ君は笑って、「君もね」と切り返した。

 僕たちが意気投合したのはいうまでもない。二人でゆがみの苦難を語りあった。そしてこのJ君の談によって、僕は長年抱きつづけてきた疑問に終止符を打つことになったのだ。以下は実話である。

 あるときJ君が母親にゆがみの理由を訊ねたところ、彼女は憤然といきりたって、「あんた! それは自業自得でしょうが」と言った。

「自業自得って何がだよ」J君は言いかえす。

「顔がゆがむのは骨格がゆがんでるから。骨格のゆがみは全身に影響すんのよ」

「じゃあなんで骨格はゆがむんだよ。別に姿勢だってなんだって悪くないのに」

「だからそれが自業自得。胸に手を当てて考えてごらんよ」

 J君はいわれるままに記憶を洗い直した。そうしてある瞬間、ひとつの鮮烈な過去の出来事が、落雷のように脳裏に甦ったのだ。

 それは中学生時代の終わり――J少年は生まれつきのすきっ歯を治すために、歯列矯正器具を填めていた。だがそこは、性衝動が毛穴からだだ漏れのチュウガク男子だ。J少年もひとなみに異性とのあんなこんなに夢想をめぐらせ、性交こそが人生の成功と信じて疑っていなかった。友人たちが次々に大人の階段を昇るなか、J少年は異性に縁遠いことを嘆き、それは歯列矯正の見ための不格好さが原因なんじゃないか? と考えるようになったという。やがてその考えは妄執へと熟した。鬱屈した衝動は、ある寝苦しい熱帯夜に活火山のように噴火した。

 うぎいいいいいいいいああああああああああああああああああああああ。

 絶叫に叩き起こされた家人は、ペンチで矯正器具を強引に外してもんどりうつJ少年を目の当たりにした。日頃、気にして弄るあまりに器具は歯面との接着部分がゆるんで浮いていたそうだ。そこをJ君はペンチでぶちぶちぶちッと引きちぎったというのだ。

 その凶行にどれだけの激痛がともなわれるかは想像だにやすかった。なんという執念。僕は驚愕とともに畏敬すらおぼえた。J少年は激痛の代償を払ってでも、ただモテたかったのだ。バカすぎて感動した。

「顔のゆがみは二次災害だ」とJ君は言った。「歯は骨格の末端だからさ。歯並びが悪いままだと、末端から全身に影響が及んで、骨格のゆがみ、ひいては顔面のゆがみをまねく」J君の言葉に医学的な根拠があるのかどうかはわからないが、僕は得心していた。J君のような凄絶きわまる過去こそもちあわせていないが、僕も歯並びは最悪で、歯列矯正をしないままに生きていたのである。

 いやはや、J君のゆがみは直情径行のリビドーがもたらした業だった。僕もJ君と同様にすきっ歯をさらしつづけたつけにより、現在進行形でゆがみつづけているのだ。恐ろしい。恐ろしいが、謎が解明されたからといって今さら、矯正器具なんぞをつける気にはならない。

 中学生の二倍は生きてきて、現在ではゆがみもまた良し、と思えるほどには成長した。

 左右対称の美からどんどん離れて、僕やJ君はゆがみつづける。このまま将来的にはどんな異貌を呈するのか、それが新しい〈謎〉だと思えるほどには、心境のほうも心地よいゆがみかたをした。

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