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『『美少女』に関する一考察』加賀美 雅之|日常の謎|webメフィスト
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日常の謎

『美少女』に関する一考察

加賀美 雅之(かがみまさゆき)

 『美少女』と呼べるのは、いったい何歳から何歳までの女性なのだろう―?

 このささやかな疑問に、私は結構長い間頭を悩ませてきました。

 そもそも『少女』という日本語自体が曲者で、この言葉の年齢的な定義がはなはだ曖昧模糊としているのです。自分の作品に十八歳の女性を登場させたことがあるのですが、彼女のことを『少女』と呼ぶべきかどうかで結構迷った記憶があります。

 外国では『少女』という言葉は『幼女』もしくは『童女』の同意語として使用される場合が多いようで、その意味する年齢層は極めて低く、せいぜいローティーンまでといった印象があります。翻訳ミステリを読んでみても、例えばハイスクールに通う女子学生を『少女』という名詞で呼ぶことはほとんどないように思えます。

 ひるがえって我が日本ではどうでしょう。女子高校生を『少女』と呼ぶのはごく普通のことですし、はなはだしい場合には二十歳を過ぎたグラビアアイドルを売り出す時のキャッチフレーズに「正統派美少女!」などと臆面もなくのたまう始末です。これらの例を見ても判るように、どうも日本語の『少女』という言葉には、単に「低年齢の女性」という以上の深い意味合いがあるようです。

 私自身のいささか乱暴な分類によりますと、精神的にも肉体的にも未成熟で庇護者の庇護を必要とする女性が『幼女』もしくは『童女』、精神的にも肉体的にも成熟し、法律的にも独立した人格を認められている女性が『女性』となり、その中間に位置するのが『少女』ではないかと思います。ではその具体的な年齢はと言いますと―身体が初潮等の第二次性徴期を迎える小学校の高学年から、未成年として法律の保護や規制を受けつつ高校生活を卒業する十八歳あたりまでが妥当な線ではないでしょうか。

 つまり『少女』とは全ての女性が十歳前後から十八歳までのごく限られた期間だけ体験することができる、まだ未成熟で何者にもなれない、だからこそ無数の可能性を秘めたモラトリアムの期間だということになります。この時期は全ての女性が急速に美しくなってゆく時ですから、それを目の当たりにした我々男性一同が賛嘆と羨望の想いをこめて『少女』という言葉を神格化してしまった結果、この言葉にある種特別の意味合いが生じたのではないでしょうか。

 ではその頭に『美』という一文字が加わるとどうなるか―?

 ある意味、これは我々男性に対する最強の「殺し文句」かもしれません。『少女』という言葉だけでも男性にとってはある種の魅力を放っているのに、そこに『美しい』という形容が加わるのですから。グラビア雑誌や青年週刊誌に氾濫する『美少女』という形容につい関心を惹かれてしまった経験を、男性なら誰でも持っているのではないでしょうか。(それとも私だけなのかな?)

 興味深いことに、『美少女』の美しさというのは『美女』の美しさとは性質が異なるようで、『美少女』がそのまま『美女』に成長するケースは非常に少ないように思えます。これは考えてみれば当然で、『美女』の美しさは女性が成熟する過程で自然に醸し出されるのに対し、『美少女』の美しさは成熟度と稚さの危ういバランスの上に辛うじて成立し、しかも少女が女性へと成長する過程で必ずそのバランスが崩れて失われてしまうものなのです。言わばそれは「期間限定」の美しさであり、だからこそ多くの男性諸氏はそのはかない美しさを愛するのでしょう。

 この『美少女』の持つ脆さ、危うさという神秘的な雰囲気はミステリとも相性がいいようで、多くのミステリ作家が自らの作品に神秘的な雰囲気の美少女たちを登場させています。江戸川乱歩や横溝正史はよく自作に美少女を登場させていますし、彼等と同時期に活躍した日本のSF小説の始祖である海野十三に至っては「美少女趣味」とも言うべき偏愛ぶりを見せて、人造人間の美少女まで創造してしまうほどでした。

 時代が下って新本格ミステリが台頭してからも、ミステリアスな雰囲気を持つ『美少女』たちは様々な形でそれらの作品の中に登場してきました。綾辻行人氏はしばしば西洋人形と見紛うばかりのエキゾチックな風貌の美少女を自らの作品に登場させていますし、愛川晶氏の諸作に登場する女子高校生の根津愛嬢にいたっては、自らを『美少女代理探偵』と称し、大人顔負けの推理力と合気道で鍛えた抜群の運動神経で果敢に難事件に立ち向かいます。

 誤解のないように言っておきますが、彼等は決して『美少女』を肉体的な欲望の対象としては描いていません。彼等にとって『美少女』とはあくまで遠くから眺めてその美しさを愛でる存在であり、それは貴重な美術品を鑑賞する心理に通じるものだったのでしょう。そう、愛する少女の一瞬の美しさを写真の上に残そうとして、少女に様々な扮装をさせては何千回とカメラのシャッターを押した『不思議の国のアリス』の作者、ルイス・キャロルのように―。

 もしかしたら『美少女』というのは『妖精』や『ニンフ』と同様に、本質的に現実の肉体を持たない、概念だけの存在なのかもしれませんね。

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