小松エメル(こまつ えめる)
日常の謎──。
二つの単語の間にあるのが「と」ではないことに、私は首を捻った。このテーマを素直に受け取ると、「日常には謎がある」という前提になってしまうからだ。
だが、私の日常には謎がない。
否、そう言い切ってしまうと、いささか語弊があるかもしれない。町に出れば(妙だな)と思う人は大勢いるし、(面白い)と感じる物だってあるからだ。
しかしながら、それらはすべて一時そう感じるだけであって、謎として残りはしなかった。
そもそも、日常の謎とは一体どういうものを指すのだろう?
「無くしたはずの傘が、何度も手元に戻ってくること!」
「何であんな子に彼氏がいて、私にはいないの? ということかな……」
「美容整形をした後、嫌いなコーヒーが好きになったのはとても謎だよ」
友人たちに訊いてみたところ、そんな答えが返って来た。彼女たちにとっては、それが日常における謎なのだろう。しかし、私は一つも同意出来なかった。
まず、無くした傘が手元に戻って来たことは一度もないし、気に食わない相手に彼氏がいても、それを自分と比較して考えることはなかった。そして、美容整形の経験もなければ、コーヒーは元々好きな飲み物だ。
ここで、私はある一つの事実に気づく。日常の謎というのは、あまり他人と共有できるものではない──ということだ。
だが、それはよくよく考えてみるまでもなく、至極当然のことだった。
私が家に籠って原稿を書いている間に、ある子は会社に行って働き、別の子は学校へ通って勉強し、他の子は子育てをしている──日常からして、まったく違うのだ。
日常が違えば、そこで起きることは異なるし、考えることも日常に準じたものになっていく。つまり、日常の謎というのは主観の産物だと言えよう。
その事実に気づいた一方で、また疑問が出てきてしまった。友人たちにはちゃんと「日常の謎」があったのに、どうして私にはないのだろうか?
人生の一時ではあるが、友人たちとは共通の時間を過ごした間柄だ。私にだって、彼女たちと同じように日常の謎があってもいいはずである。
しかし、いくら考えても、一つたりとも浮かんでは来ない。どうも、私は友人たちと比べて、謎に対するハードルを高く設定しているようだ。それは、私が謎に満ちた生活を日々送っているから──などというわけではもちろんなかった。
私の日常は、実に平坦で何の代わり映えもしない地味なものだ。日常の大半は、家に籠ってこうして原稿を書いている。最近は、祖母のお見舞い以外に外に出ることもほとんどなく、「今日は何月何日?」と訊かれても、即答できないくらいに世間から距離を置いて生活している。このような日常で、謎など起きるわけがない。
これまで、私にとっての謎というのは、非現実の小説の世界で起きるものだった。私が好んで読むミステリー小説は、その名の通り謎に満ちていた。
まず、登場人物たちからして謎を抱え込んでいる。そんな彼らが関わって起きた事件は、当然謎だらけだ。極めつけは、その謎を解く探偵の存在である。彼らは「名」がつけられるだけあって、見事に謎を解明し、私のような部外者にも事細かに解説してくれるのだ。
そこで私はやっと(そうか、これが謎だったんだ!)と納得する。逆をいえば、そこまでしてもらわないと(ふうん、何だか不思議だなあ)と思う程度で終わってしまうのだ。そう、私の日常と同じパターンである。
つまり、私の中で謎が謎として確立されるには、皆が共通してその事象を謎だと思うことが必要であり、更にはそれを解き明かす人がいなければならないようだ。こんな堅苦しい条件があるとは、私自身、今の今まで気づいていなかった。
謎が存在するための条件は判明したものの、問題はちっとも解決していない。何しろ、日常で前述の条件をクリアするのは、大変困難だからだ。
まず、謎が起きた瞬間に誰かと一緒にいるとは限らない。仮にいたとしても、その出来事を謎と感じるか否かは人それぞれである。
すなわち、この条件のままでは、いつまでたっても日常の謎がないままとなってしまう。それに気づいた私は、(謎がないなんて詰まらない人生だ)などと落胆しかけたが──それと同時に、ほっと息を吐いた。
なぜ、安堵したのだろう?
その答えは、あっさり分かった。謎の存在に気づいたところで、私にはそれを解決することはきっと出来ない。他に解決してくれる者などいないから、日常の謎は謎のまま放置されることになってしまう。解決されることのない謎は、日々増えていくことだろう。それらがちりも積もって山のようになり、ついには崩れ落ちる日が来たら──一体どうなってしまうのだろう?
私の平坦で何の代わり映えもしない地味な日常は、これまでと打って変わり、謎に満ち溢れた刺激的なものとなってしまうかもしれない。そこまで極端に変わらずとも、これまで通りの日常ではいられないだろう。
私はそれがとても怖いのだ。
そんな風になってしまうのならば、日常に謎などいらない──無意識にそう思い続けていたから、私の日常には謎がなかったのである。
恐らくこの先も、私の日常に謎が現れることはないだろう。成長に伴い育っていった小心が直るとは思えないし、残念なことに、日常に名探偵などいないのだ。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳







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