高田侑(たかだゆう)
子供の頃、よく焚たき火をした。
まだダイオキシンなどと騒ぎ出す前の話だ。プラスチックや発泡スチロールも平気で投げ込み黒く縮むのを見届けた。
楽しい焚き火も、不愉快なことがひとつだけあった。黒い煙がいつも僕に向かってきたのである。風のせいだと思って位置を変えるのに、煙はまるで僕を狙っているかのようにまとわりついてきた。目をこすりながら毒づく僕を周囲は笑った。
煙の向かう先については科学的に説明のつくことなのかもしれないが、僕は知らない。居合わせた者がもっともらしく解説してくれることもあったが、どれも僕を納得させるには不充分だった。
やがて僕も成長した。焚き火は時勢や住宅の事情が許さなくなり、煙にもてたことなどすっかり忘れていたが、友人とのバーベキューで苦い記憶は甦った。僕は子供の頃のように大量の煙に巻かれた。
こういうことは、たいていは「気のせいだよ」と笑われる。大人はたまたまだと片付けたがるけれど、僕には何かしらの因果関係があるように思えてならないのだ。
似たようなことは他にもある。
例えば書店の棚の前に、人を呼び寄せてしまうのは気のせいだろうか。それまで誰もいなかった棚を物色しているうちに、ふと気づくと混雑がはじまっているのだ。田舎町の書店の、それも宗教関連の棚の前だったりするから僕は途方に暮れる。気のせいではなく、別の何かのせいにしたくなるのだ。
ただし、これはいつもというわけでもない。むしろこの逆ということもある。混雑している棚の前に僕が移動した直後、気づくと人がいなくなっている。このときも僕は途方に暮れる。不安になる。どうしてだろうと考えてしまう。大人になった僕は、笑われるのを怖れてあまり人に話さなくなった。
だが、こんなつかみどころのない話に「気のせいだよ」と笑わない人がいた。
「ファミレスなんかでね、俺が店に入ったときには全然客がいなかったのに、気づくと満席になってたりすることがあるんですよ。そういうことよくあるんですよ」
会社の後輩だ。気のせいだとは思わないのかと訊いてみた。断じて気のせいなんかじゃないという。ただし彼の場合も、百パーセントではないからその手の能力だと発表するのは気がひけるのだと笑った。
そうなのだ。こういう話になるとその手の能力を持っていると宣言したような空気になるし、だったらその能力を今ここで見せてみろということになる。そういうことではないのだ。自在に操れるような力ではない。いつの間にか発揮されているものなのだ。
桶屋が儲かった理由を風のせいにする人がいないように、因果関係のはっきりしないものから人は目を背ける。気のせいだと言って片付けたがる。
物の怪というのはこのような、因果関係のよくわからない事柄の総称ではないかと僕は思う。そしてこれは草木の中から発生するのではなく、人から発せられるものではないかと思っている。もともとは書店の棚から人を追っ払う程度の害のない力が、人の中で育って外へ向かい、やがては得体の知れない怪となって害をなすものとなるのではないだろうか。
オーラという言葉を近頃よく耳にするようになった。これも便利な言葉だと思う。オーラにも色があり、よいオーラと悪いオーラとがあるようだ。つまりは先の例を使って説明するならば、棚の前に人を引き寄せるのは僕がよいオーラを出しているときであり、追っ払うのはその逆というわけだ。不思議なもので、得体の知れないものに名前を与えたとたんに、何か周知のことのようになってしまい、気味の悪さが半減するのは残念だ。オーラという言葉で説明するのはとてもスマートなやりかただけれど、僕はこのことはもう少し複雑だと思っている。
先日、こんなことがあった。僕は、ちょっとしたいざこざに巻き込まれて腹を立てていた。それを知った友人が一緒に飯でも食わないかと自宅に招いてくれた。ようやく得た理解者を前に、僕はそれまでためこんでいた毒を、ここぞとばかりに吐きだした。
その最中のことだった。
僕のズボンの膝を、小さな百足が這っていたのだ。慌てて払いのけたとき、短く悲鳴すら上げてしまった。
フローリングの床を滑った百足の子供を見て、友人が言った。
「ときどき入ってきちゃうんだよな」
動揺することもなくティッシュで掴むなりてのひらに包み、素早い動作で台所のゴミ箱に放り込む彼を横目で見ながら僕は思った。入ってきちゃうんだ。そう彼は言ったが、それは違う。百足はまるで僕から這い出てきたようだった。僕の中で高まった負の力が百足の姿となって顕れたかのようだった。どこかに潜んでいた百足が、僕から溢れる毒に引き寄せられたのに違いないのだ。
負の力はお互いに引き合いやすく増幅もしやすい。それがどのような禍をもたらすかを先人はよく知っていた。厄除けや供養の習慣も、寄りやすい怪を追い払うための知恵だ。
さて、煙が寄ってくる話をあるところでしたら、俺もだよと共感してくれた男がいた。
「わかるわかる。俺もそうなんだ。体育館で朝礼かなんかやっててさ、蠅が一匹飛んでくることあるじゃない。ブーンって飛んできてさ、必ず俺に止まるの。本当だよ」
一応、僕は深くうなずいた。
それはまた別の理由があるような気がするのだが。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳