詠坂雄二(よみさかゆうじ)
十五年も前のことだ。
かまいたちの夜をプレイしていて、暗号編で示される第二の暗号に驚いた記憶がある。中学生だった俺は、これは*1凄いトリックだと思い、色々なゲームにパクられつつ歴史になってゆくに違いないと疑わなかった。そう、その時は、ゲーム機からリセットボタンがなくなるなんて思いもしなかったのだ。
いやー、なくなりましたねリセットボタン。Wiiには付いてるぞーと指摘されるかも知れませんが、Wiiのリセットボタン、押した覚えあります?少なくとも俺は買ってから今まで、一度も押した覚えがありません。
なんでリセットボタンはなくなってしまったんでしょう? これこそが、ここ数年、俺がぼんやり考えてきた日常の謎なのです。誌面を借り、少々ムキになって語ってみたいと思います。
まあWiiの例を引くまでもなく、リセットボタンがなくなった理由はただ一つ、それが押されなくなったからでしょう。ではどうして押されなくなったのか。ハードやソフトの信頼性が上がり、バグることが少なくなったから?プレイのやり直しが容易なシステム(無限コンティニューやリスタート)がスタンダードになったから? いいえ、それらはたぶん後追いでしょう。リセットボタンを押すことがストレスになる状況がまずあり、それを緩和するために工夫された結果だと思います。
そう、ある時期からリセットボタンを押すことは多大なストレスになったのです。具体的には十数年前、記録メディアがCDになり、ゲームが起動に時間を必要とするようになった頃から。
サターンのういーんうおーんぶわーんぱぁああ、とか、プレステのぶううーん、しゃららららーん、それに続くローディングなどなど。それらのために、ハードを再起動させることは億劫になりました。リセットしても同じくらいの時間がかかるのならば、電源を入れ直すのと変わらない。そんなこんなでリセットボタンは押されなくなったんだろうな。この疑問を考えるたび、俺はそんな風に結論してきました。なんとはなしに座りの悪さを感じつつも。
そういった推論が間違いとは思いません。推論と言いましたが、経験に基づいているので俺にとっては事実と変わりない。でも、それだけではないのかも知れないと最近思うようになりました。リセットボタンを殺した真犯人は他にいたんじゃないだろうかと。
このところ、ゆえあって昔のゲームを実機でプレイしまくっているのですが、まーよくリセットボタンを押します。昔のハードは電源入れてコンマ何秒で操作を受け付けますから、こっちもそのつもりで見境なく押していきますし、向こうもそんな俺に付き合って気持ちよくリセットされてくれます。そんなことを繰り返すうち、ふと気付きました。
互いの距離に。
ハードと俺が近いのです。心のとかそういうんじゃなく、実体距離が。いや心の距離も近いんですが。
近いのも当然です。昔のハードはコントローラのコードが短いのです。今計ってみたら、ニューファミコンで一メートルありません。マウスのコードと同じくらいと説明すれば、知らない人にも想像が付くのではないでしょうか。考えたら、パソコンもすぐ近くで操作するものです。そうかと思いました。パソコンでいまいち無線マウスを使う気にならないのは、距離が近いせいだったかと。
思えばハードとプレイヤーは離れ続けてきました。最初にコントローラのコード長を謳ったのはプレステだったと思います。二メートルのコードが売りになると見抜いたSCEの発想は地味かも知れませんが大正解で、以降、コードは伸び続け、遂には無線接続になりました。
そうした変化を、テレビの大型化や、少子化で子供が個室を持つようになった事情と絡めて語ることもできそうですが、指摘したいのはそこではなく、ハードと触れるのに腰を上げなければならなくなったという静かな革命についてです。
言うまでもなく、ビデオゲームは躰を移動させない遊戯です。手の届くところにハードがなければリセットボタンを押す気にもなれないのが本音でしょう。かくして俺達は、リセットどころか電源操作まで遠くから行うようになりました。ソフトのダウンロード販売がもっと定着すれば、ハードに触ることすら稀まれになるのかも知れません。
バーチャルコンソール*2などで古いゲームを遊ぶと感じる違和も、俺の老いやモニターの性能向上だけでなく、あの頃近かったキャラを遠くから操作していることに由来しているのではないか。そう思って近くでプレイしたら、涙が出ました。懐かしさのためか、ジャギーの目立つ画面を凝視したためかはわかりません。
でも、距離が殺したのは、リセットボタンだけなのでしょうか。
アマテラス*3と歩きながら平原綾香が歌ったように、ファミコン時代からのゲーマーは「リセット」という言葉をポジティヴに捉え、やり直しもプレイの一環、積極的に展開すべき戦術と見たりする。けれどこうした見方は、ゲームをしない人までが共有するものでもない。その言葉は通常、もっとネガティヴな意味あいで使われている。
ふと気になるのは、リセットボタンが消えた今、幼いゲーマーが「リセット」という響きにどんな印象を覚えているかだ。悪い印象でももちろん構わない。その手触りを感じられる、生きた言葉でいてくれさえすれば。
言葉の意味を広げることも、ゲームをプレイする楽しみの一つなのだから。
プレイザゲーム。
*1 『かまいたちの夜』には、ゲーム中のあるシーンでリセットボタンを押さないと進行しないシナリオがあった。
*2 任天堂Wiiに搭載されている過去のゲームソフトを遊べる機能。
*3 『大神』(カプコン)のエンディングテーマ、曲名は「Reset」。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳