薬丸岳 (やくまるがく)
昼過ぎに目が覚めた。ベッドから起き上がると激しい胸やけと頭痛がする。やばい、二日酔いだ――。
カレンダーを見ると今日の日付に☆印がついている。ぼくは締め切りのある日にはカレンダーの日付の欄に☆印をつけることにしているのだが、はて? 何の締め切りだっけ……? きしむ頭で考えて、思い出した!
そういえばメフィストからエッセイを頼まれていたのだ。お題は『日常の謎』。締め切りの前日になってもいいネタが見つからず、飲み屋で酒でも飲みながらネタを考えて、帰ってから原稿を書こうと思っていたのだ。しかし、楽しい馴染み客と酒を飲んでいるうちに仕事のことなどすっかり忘れてしまい、朝方まで飲んでしまった……。やばい……。
飲み過ぎたせいでほとんど食欲はなかったが、とりあえず何か食べてから原稿を書くことにしよう。近くの和食レストランに行ってとろろそばを頼んだ。ぼくは二日酔いの日には必ずとろろそばを食べることにしている。そんなことはどうでもいい。早くエッセイのネタを探さなければ。とろろそばと一緒にグラスビールを頼んでしまった。まったく、ぼくはどうしようもない男だ。
だが、その瞬間、ぼくの中で何かが閃いた。エッセイのネタである謎が浮かんだのだ。別に、薬丸岳はどうして酒を飲んだ翌日に後悔も反省もするのに学習しないのだろう、という謎ではない。そんなことは謎でも何でもなく、ぼくが単に自分にとても甘い人間だからだろう。
どうして人は酒を飲むのだろう――。
この謎はいけるかもしれない。ぼくは大急ぎでとろろそばを平らげて家に戻った。
ぼくが初めてお酒を飲んだのはいつだったかと考えてみる。当然二十歳からだと答えなければならないのだが……もう時効なので正直に言うと、小学生の頃だったと思う。
酒を飲んだといってもそのときは、親父がコップに注いだビールの泡を舐めるといったかわいらしいものだ。初めてお酒を飲んだ(舐めた?)感想は、ひとこと、苦いだった。
大人はなぜこんなまずい飲み物を飲んでいるんだろうと思った。そのときのぼくにとっては、こんな薬のように苦い飲み物なんかよりもコーラのほうがよっぽどおいしかった。
そんなにまずいと思っていた飲み物を高校生になる頃にはちょこちょこ飲むようになっていた。まあ、これも時効だから言う話なのだが……。ただ、その頃も別においしいと思って飲んでいたのではないと思う。特に大失恋をした後に安ウイスキーとテキーラをボトルで半分ずつ飲んで、二日、三日、のたうち回っていたときには二度と酒なんか飲むものかと心に誓ったものだ。
――酒を飲むと、胃腸で吸収されたアルコールは血液中に溶け込んで肝臓へと運ばれます。肝臓では、飲んだアルコールの約八十パーセントを分解し、悪酔いや二日酔いの原因となる有害な物質(アセトアルデヒド)を最終的に水と二酸化炭素に変化させ、体の外に放出します。しかし、飲酒量が多くなると、肝臓で分解しきれないアルコールが全身を巡ることになり、特に血流の豊富な脳でアルコールの濃度が上昇し、脳の働きを徐々に麻痺させます。麻痺は大脳から起こります。大脳の主な作用は神経全体を抑制することなので、大脳が麻痺すると興奮状態になります。
酔っぱらうと気分が大きくなったり、陽気になったりするのは、大脳による神経の抑制が取れるからでしょう。――
ただ、飲酒にはリスクもあります。最初は爽快期と言われる、気分が爽やかになったり陽気になったりする状態から、飲み過ぎると意識を失ったり死に至ることもあります。
大失恋をして二日、三日のたうち回っていた状態は、おそらく泥酔期と呼ばれる状態だったのでしょう。
ぼくが本当においしいと思ってお酒を飲み始めたのは二十代の前半、バーテンダーの仕事をしていたときだろう。勉強ということで色々な種類の酒を飲み、自分の好みの酒、あまり悪酔いしない酒の飲み方を覚えたことが大きかったと思う。
酒のことについて色々と調べているうちにもうひとつ謎が出てきた。
どうして酒を飲んだ後、無性にラーメンが食べたくなるのだろう――。
昨夜も飲み屋を出た後、馴染み客と一緒に地元で評判のラーメン店に行って来たのだ。
ネットで調べてみると――アルコールを肝臓で分解するためにはブドウ糖が必要になり、アルコールの分解で低下した血糖値を上げろと脳が指令を出すことで、実際には空腹でもないのに何かを食べたくなってしまうとのことだ。
また飲酒後は体内が酸性化しているため、体を中和するためにアルカリ性のものが食べたくなるらしいが、ラーメンの?に使われている『?水』にはアルカリ性の物質が含まれており、ラーメンのスープに含まれる『グルタミン』には肝臓のアルコールを分解する効果があるという。
なるほど――酒を飲んだ後にラーメンを食べたくなるのは、酔った体を正常に戻そうとする自然の欲求だったようだ。酔っ払って正常な思考が働かなくても、人間の身体とは実に不思議なものだ。
いや、感心している場合ではない。もう行数が残り少ないというのに、人はなぜ酒を飲むのかという大きな謎がまだ解けていないではないか。ああ、もうすぐ締め切りの時間だ……。
まあ、いいか――。
もうこんな時間だし、これからちょっと飲み屋に行って、酒でも飲みながらこの大きな謎の解明に取り組もう。
というわけで、じゃあ、行ってきます。
- 『腐れ縁』 最東対地
- 『九本指』 山吹静吽
- 『忘れられた犯人』 阿津川辰海
- 『ささやき』 木犀あこ
- 『普通と各停って、違うんですか』 山本巧次
- 『雨の日の探偵』 階 知彦
- 『神々の計らいか?』 吉田恭教
- 『虫』 結城充考
- 『監禁が多すぎる』 白井智之
- 『チョコレートを嫌いになる方法』 辻堂ゆめ
- 『銀河鉄道で行こう!』 豊田巧
- 『方向指示器』 小林泰三
- 『庭をまもるもの』 須賀しのぶ
- 『寅さんの足はなぜ光る』 柴田勝家
- 『脱走者の行方』 黒岩 勉
- 『日常の謎の作り方』 坂木 司
- 『味のないコーラ』 住野よる
- 『鍵のゆくえ』 瀬川コウ
- 『彼らはなぜモテるのだろうか……』 市川哲也
- 『やみのいろ』 中里友香
- 『インデックス化と見ない最終回』 十市 社
- 『文系人間が思うロボットの不思議』 沢村浩輔
- 『街道と犬ども』 石川博品
- 『沖縄のてーげーな日常』 友井 羊
- 『ジャンルという名の妖怪たち』 ゆずはらとしゆき
- 『カロリー表示は私を健康に導くのか』 秋川滝美
- 『終電を止める女』 芦沢 央
- 『女子クラスにおける日常の謎』 櫛木理宇
- 『IBSと遅刻癖』 岡崎琢磨
- 『シューズ&ジュース』 青崎有吾
- 『キャラが立つとは?』 東川篤哉
- 『「源氏物語」のサブカルな顔』 荻原規子
- 『そこにだけはないはずの』 似鳥 鶏
- 『『美少女』に関する一考察』 加賀美雅之
- 『食堂Kの謎』 葉真中顕
- 『寒い夏』 ほしおさなえ
- 『人喰い映画館』 浦賀和宏
- 『あやかしなこと』 平山夢明
- 『あなたの庭はどんな庭?』 日明 恩
- 『日常の謎がない謎』 小松エメル
- 『影の支配者』 小島達矢
- 『「五×二十」』 谷川 流
- 『グレープフルーツとお稲荷さん』 阿部智里
- 『ボールペンを買う女』 大山誠一郎
- 『日常の謎の謎』 辻真先
- 『『サイバー空間におけるデータ同定問題』あるいはネット犯罪量産時代』 一田和樹
- 『囲いの中の日常』 門前典之
- 『カレーライスを注文した男』 岸田るり子
- 『お前は誰だ?』 丸山天寿
- 『世界を見誤る私たち』 穂高 明
- 『名探偵は日常の謎に敵うのかしら?』 相沢沙呼
- 『で、あなた何ができるの?はあ、皇帝だったらたぶん…』 秋梨惟喬
- 『すっぽんぽんでいこう!』 桜木紫乃
- 『右腕の長い男』 麻見和史
- 『坂道の上の海』 七河迦南
- 『彼女は地下鉄でノリノリだった、という話。』 柴村仁
- 『その日常で大丈夫か?』 汀こるもの
- 『成功率百パーセントのダイエット』 小前亮
- 『謎の赤ん坊』 蒲原二郎
- 『一般人の愚痴と疑問』 沼田まほかる
- 『寄る怪と逃げる怪』 高田侑
- 『福の神』 木下半太
- 『マッドサイエンティストへの恋文』 森深紅
- 『私の赤い文字』 大山尚利
- 『となりあわせの君とリセット』 詠坂雄二
- 『美人はなぜ美人なのか』 小川一水
- 『なぜモノがあるのか。』 鈴木光司
- 『この目で見たんだ』 北村薫
- 『運命の糸が赤いのは?』 山下貴光
- 『念力おばさん』 湊かなえ
- 『方向オンチはなぜ迷う?』 山本弘
- 『ゆがむ顔のカルマ』 真藤順丈
- 『子供だけが知っている』 宇佐美まこと
- 『人はなぜ、酒を飲むのか』 薬丸岳