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『もう一つの「バルス」 ―宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代―』木原浩勝
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あとがきのあとがき

『もう一つの「バルス」 ―宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代―』

『もう一つの「バルス」 ―宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代―』

木原浩勝(きはら ひろかつ)

profile

1960年、兵庫県生まれ。アニメーション制作会社・トップクラフト、パンメディア、スタジオジブリに所属。『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』などの制作に関わる。1990年『新・耳・袋』で作家デビュー。以来、「新耳袋」「九十九怪談」「現世怪談」など怪談作品を多数発表。怪談トークライブやラジオ番組も好評を博す。

 そもそもの執筆のきっかけは「ちょっと長くて勝手なエピローグ」に書いた通り、ほんの小さなことでした。

 2016年の今年は『天空の城ラピュタ』公開30周年の記念すべき年にあたります。

 ところがその今年の1月15日に放送された金曜ロードSHOW!の『天空の城ラピュタ』には、「国民的映画」と銘打たれていても、公開から30年、あるいはスタジオジブリデビュー作、宮崎駿監督初のオリジナル長編アニメーションというアナウンスが全く流れませんでした。

 それがこの作品の制作に関わった私の心の中に、何かを突き刺した気がしたのです。

 本書の中にも書きましたが、私はスタジオジブリに入社する前から大の特撮好きです。

 1954年に『ゴジラ』が公開されて60年以上経った現在、これほど古い作品にも拘わらず、どんな人達がどのような苦労をして国産初の長編特撮怪獣映画を生み出したのかは、数々の書籍で明らかにされています。

 更には、公開60周年の記念の年には、多くの催し物によってその歴史と功績を祝ったのです。

 一方そのゴジラの半分の時しか流れていない『天空の城ラピュタ』という作品は、全くと言っていいほど制作現場の苦悩や試行錯誤が世に出てこないままでした。

 私の中で、この『ゴジラ』と『ラピュタ』が、金曜ロードSHOW!を見ながら何度も重なり合ったのです。

 私がジブリに入社したのは1985年10月21日。ここから翌1986年の8月2日に『ラピュタ』が公開されるまで関わった期間は10ヵ月。

 本書に細かく残すことは出来ませんでしたが、〝制作進行〟という使いっ走りにも似たポジションを与えられた者にとってこの期間の労働は後半になればなる程、壮絶の一語に尽きました。

 がしかし、その私よりもはるかに数多くの仕事をこなし、その重責に悩み戦い抜いた宮崎駿という監督の姿を、どうしても書き残しておかなければならないという気持ちが、抑えることが出来ないほど溢れ出たのです。

 現在は〝天才だから〟の一言で片付けられているせいか、その人物像は本人の語ったもの以外ほとんど残されていませんが、第三者から見た仕事場における宮崎駿という人物は、信じ難いほどの集中力の持ち主でありながら普通の人間と何ら変わりない悩みや迷いを抱え、それでいて机から離れると明るく気さくでユーモラスな人でした。

 どんなに追いつめられても、その姿勢を最後まで崩すことのなかった監督の人物像は、実は『ラピュタ』という作品のあちこちに残されています。

 誰もが当たり前だと思っているシーンの、一つ一つが決して単純なものではないのだと、可能な限り書き残したつもりです。

 どうか本書を読んで、もう一度映画『天空の城ラピュタ』を見て欲しいと願っています。

 きっと30年の時を超えて、まるで公開当時のような驚きの数々をこの映画から新たに知る事が出来ると確信しています。

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