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『戦車のような彼女たち』 上遠野浩平|あとがきのあとがき|webメフィスト
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あとがきのあとがき

『戦車のような彼女たち』

上遠野浩平 (かどのこうへい)

profile

‘68年生まれ。‘98年に『ブギーポップは笑わない』でデビューを果たす。主な著書に『殺竜事件』をはじめとした「事件」シリーズ、『私と悪魔の100の問答』などがある。

 私の小説は大抵そうだが、その中でも本作はかなり変である。
 作中で語られていることの大半が、他の作品の方で決定的な事件が起こってしまった後の事後処理みたいなことを描いている癖に、内容は番外編的では全然なく、これを読んだからって他作品の理解に役立つ訳でもない。というか、むしろ混乱する。唐突にある人物が「死んでる」とついでのように語られるが、それは別の長編小説の中でのことで、しかもそっちでの彼はヒーローに倒される敵役の一人でしかない。なんでそんなことになるのかというと「この作品の中では、それ以上のことがわかる人物がいない」という風に決めてしまうと、もう文章表現的にも、それは書けなくなってしまうのだった。正直、読者に不親切という以前に、作者が書きにくくて仕方がない。信号機について説明するのに、自動車のことに触れてはいけないというような事態に陥ることが多々ある。だから「これが書ければもっとわかりやすいのに、他の作品を読んでくれている人なら一発でわかってくれるのに」と思ってもそのことだけはどうにも書けないのだった。なんでこんなことをしているのかというと、どうやらこれはリアリティの問題になるらしい。むろん私は歴然とファンタジー作家でもあるのだが、それでもこれはリアリティの領域の話なのだ。現代は情報社会だと言うし、みんな色々なことを既に知った気になっているが、そのほとんどは所詮「他の誰かがきっと詳しく知っている」と思いこんでいるだけの錯覚なのではないか、そんな気がする。世の中にある仕組みというのは一個の確固たるシステムがあるわけでなく、大小さまざまな仕組みが混在していて、しかもそれらは相互に矛盾していたりする。そういう矛盾がいくつも積み重なっているのが世界で、そういう理不尽を考えたときに、私はなんか「別の作品で使えた解決策も、この作品では無理」とか思ってしまうのだった。そのせいで入りきらないことも多々あり、今回も雑誌掲載時には短編二本立てだった内のひとつが省略されてしまって、そっちもそっちで改めてまとめ直さなくてはならない。しかしそのメフィスト掲載作を中心とした短編集『夜空に竜がいるならば(仮)』の内容の方でも、やっぱり言及されないであろうことが山積みなのだった。あーあ。

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