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『光待つ場所へ』辻村深月|あとがきのあとがき|webメフィスト
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あとがきのあとがき

『光待つ場所へ』

辻村深月 (つじむらみづき)

profile

’80年2月29日生まれ。千葉大学教育学部卒業。’04年『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞しデビュー。新作の度に期待を大きく上回る作品を刊行し続け、幅広い読者からの支持を得ている。

 今から九年ほど前。

 映画を見終えた後、友達と入った渋谷のカフェで、私は彼の顔をまともに見ることができませんでした。

 当時、私たちはともに大学を卒業する節目の時期に差しかかり、これから先の進路を悩んでいる最中でした。私は小説家になりたくて、彼は漫画家志望。――私は故郷に戻って就職することを、その前の週に決めたばかりでした。夢を諦めるわけではなく、「地に足をつけて夢をみたい」と願った結果だったのですが、どうにもこうにも後ろめたく、彼にどう話していいかわかりませんでした。

 卒業後も創作重視でやっていくであろう彼に対し、自分はあまりにも軟弱な決断をしているんじゃないだろうか、バカにされないだろうか、軽蔑されないだろうか――。彼を裏切ってしまうような気持ちすらして、とにかく、怖かったのです。

 進路を打ち明ける口実に誘った映画『リリイ・シュシュのすべて』がおそろしくよかったのも、私が躊躇う気持ちに拍車をかけました。ここで描かれているような世界や景色、表現を手に入れることもなく、自分の人生が終わってしまうのではないかと考えたら、大げさでなく、吐き気がしそうに苦しかった。

 自分ではそれでも普通にしていたつもりだったのですが、ご飯を食べている最中に彼がふっと顔を上げ、「あのさ」と私に言いました。

「きちんといつもみたいに目を見て話をしろよ。らしくないぜ」

 びっくりしました。彼は普段はとても話し言葉が丁寧で「〜ぜ」なんて言い方をされたのも初めてでした。

 この言葉に背中を押されたように、私は自分の決断について話しました。聞き終えた彼は「そっかあ」と少し寂しそうに微笑んで「でもどうせ書くんでしょ?」と言ってくれました。

 振り返ればとても些細なエピソードですが、当時の私があの日、どれだけ彼の言葉にほっとしたか。思い出すたび、今も小説を書いていられることを、心から幸せに感じます。

 人が階段を一段のぼるとき、扉を開ける瞬間を見てみたくて『光待つ場所へ』の三編を書きました。それは、私が作家になろうと一歩を踏み出したあの瞬間を、今も覚えているからかもしれません。

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