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『トワイライト・ミュージアム』初野晴|あとがきのあとがき|webメフィスト
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あとがきのあとがき

『トワイライト・ミュージアム』

初野晴 (はつのせい)

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‘02年、『水の時計』で横溝正史ミステリ大賞を受賞しデビュー。年内に『トワイライト・ミュージアム』の続編を刊行予定。

 あのタイムトラベルから一ヵ月。

 春の風が僕の髪をなぶり、周囲に咲く桜が香った。花びらが降り、ひとつ、ふたつと目の前をひらひらと舞い、御影石を掠める。僕は大伯父の墓前にひとりで立っていた。お小遣いで買った小さな花を供えて、中学三年生に進級したことを報告する。出会ったのもつかの間、勝手に死んで、とんでもない遺産を僕に託した大伯父にいいたいことは山ほどあるけれど、もう届かない。

 ナナの退院までは残すところあと一週間になった。入院が長引いたのは、日常生活への復帰を名目とした様々なテストが行われたからだ。なるべく本人に精神の時間旅行の事実を悟られないよう、史実との整合性を取ったり、現在残っている歴史書物の検証を行うのは難しいという。

 僕はぐずるナナに呼ばれて、よく学校帰りに見舞いに行った。精神を共有した寡婦アルドゴンドのことは悪い夢として日に日に薄れてきている。心の傷は思ったより深くなく、トラウマも残らずに済んだ。

 枇杷の決断のおかげだ。

 ナナの精神を救出した枇杷は、博物館に帰還してから二日ほど寝込んだ。自分も他人も、多くのものを巻き込み、傷つけ、血を流し、ときには見殺しにして、やがて犠牲が釣り合わなくなり、それでもやっとの思いで掴み取ったものがナナの生命だった。枇杷の自己犠牲や博物館のみんなの非情すぎる判断は、今なら理解できる。あのときみんな、奇麗事は何ひとついわなかった。

 僕は自分の右手を見つめた。博物館のみんなにとって僕の命綱としての資質は、枇杷の姉を助けるラストチャンスだそうだ。もう代わりは探せない。そして僕には、時の旅への同行を拒否する権利がある。

 枇杷の姉の精神は、今も時の狭間を彷徨っている。

 常に痛みが付きまとう枇杷の姿を思い出した。たぶん彼女は、姉を助けるためならどんな無茶もするだろうし、自分の犠牲を厭わない。重要な局面で、誰かがとめなければならないときがきっとくる。

 その役目は、僕だ。

 もっと成長したい。博物館のみんなと渡り合える勇気と知識が欲しい。右手をかたく握りしめた僕は、結実した思いを胸に大伯父の墓前をあとにした。

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