『未明の家』に始まった「建築探偵シリーズ」は、2011年1月5日刊行の『燔祭の丘』が完結編となります。
それを記念して、16年にわたるシリーズを書き終えた著者に、創作秘話などについて、お話をしていただきました。
インタビュアー 千街晶之
―建築探偵シリーズ完結、おめでとうございます。まず、シリーズを書き終えた感慨からお聞かせ下さい。
書きたいだけ書いたかな、という感じはありますね。終わりが近づいてきて、十三巻、十四巻くらいになると、読者の方からの「終わらせないで」という声は、諦めたらしくてなくなりましたが、「寂しくないですか」と訊かれることが結構多かったです。その段階では「それどころの騒ぎじゃないです。書かなきゃいけないんだから」と答えていたのですが、エンドマークを打ったら、流石にちょっと寂しくなりました。扉がひとつパタンと閉じて、彼らは向こう、私はこっち。まあ、そこにいることはわかっているし、開けようと思えば開けられるんだけど、取り敢えず閉じたと。そんな感じです。
―シリーズ初期の頃は、桜井京介が典型的な名探偵、蒼がその助手、栗山深春が体力担当……みたいな感じで、わりとオーソドックスなフォーマットに従ったキャラクター配置でしたね。
おっしゃる通りです。当時の編集担当だった宇山(日出臣)さんから「現代の日本を舞台にしたミステリを書いてね」と言われたのですが、その時私は現代の日本が舞台の小説をひとつも書いたことがなかったので、エキセントリックな名探偵と、助手の男の子と、とまるっきりお定まりの路線で書いたのが第一作の『未明の家』です。ところが蒼の出てくる場面を書いていて、「そういえば、この子の本名って何なんだろう」と自分で疑問が湧いてきて、そこではまだ何も決まってなかったんだけど、何かあるなと。で、そこから掘り下げていったらあんなことになった、という感じですね。
―キャラクター配置は、当初のフォーマットからどんどん逸脱していきましたね。
三巻目の『翡翠の城』のエピローグで、蒼が高校に行くと言い出すんですが、それも書くまで決めていなかったんです。ミステリとしての決着がついた後のおまけみたいな場面だったんですが、書いてる時にそういうことをぽろっと言ったから「そうすると、ここで少し話が変わってくるな、だったら蒼の前に京介と深春の話もあっていいかな」と。で、最初の五冊を書いた段階で、何の目算もなく全十五冊とぶち上げてしまった(笑)。私はいつも書いてから考えて、辻褄を合わせるんです。
―京介の過去に何かあるというのは、わりと早い段階から匂わせていましたね。
そうですね。でも、蒼のことより京介のことの方が後づけではありますね。主人公を美形にしたのも「こういう名探偵はいそうでいないな」と思っただけだし、かといって初登場から長々と顔の描写ではウザイので、取り敢えず髪の毛で隠しただけで。それが四冊目の『灰色の砦』を書いた時に、何かありげな匂いが漂ってきて、自分で「あれ?」と(笑)。いつも書いてからそう思うんですよ。ミステリにあるまじき書き方で、ばらしていいのか……まあ、今更ですね。
―前作『黒影の館』で京介の過去の一部が語られて、それと対をなす今回の最終作『燔祭の丘』で京介の秘密はすべて明らかになりましたが、この結末はシリーズのどの時点で見えてきたのでしょうか。
ラストが見えてきたのは、『燔祭の丘』を半分くらい書いてからです。それまでずっと京介の秘密がわからなくて……××をどう登場させるかというのも……。半分過ぎたあたりで「こう終わるんだな」とやっとわかった。我ながら、いつもよく終わるもんだと思います(笑)。
―ミステリの探偵役というと、ある年齢から一切年をとらないか、年月の流れに伴って年をとるか、大体二種類に分かれますが、篠田さんが後者を選んだ理由は。
最初からそう決めてたわけじゃないけど、蒼が高校に行くと言い出したので、これは時間を動かさないと駄目だな、と。それからは年表を作っていったのですが。あとから思うと、探偵に年をとらせないのは、読者のためには親切だと思うんですよね、どこから読んでもOKだから。ただ、ひとつは社会がこれだけいろいろ変わりやすくなっていると、その書き方の場合、この時点で携帯電話はどうなっているとか、そういうことに目をつぶらないと書けないというのと、もうひとつは、サザエさんには感情移入できないというか、人間というのは年をとって変化してゆくものだというのが常に頭にあるので、小説の中のキャラクターでも変わっていかないとおかしいと思っています。お客様には申し訳ないけれども、こればっかりは……という感じですね。
―レギュラーの四人(京介、蒼、深春、神代)は血はつながっていないけれども、ある種、擬似家族的な関係を築いていますね。一方で彼らは、ひとりひとりが家族とのあいだに問題を抱えています。今回の結末も家族の問題に決着をつけたわけですし、全体的に家族というテーマが重視されていますね。
建築探偵シリーズに限らず、自分の作品全部を横断的に見ますと、私は家父長制みたいなものへの嫌悪感がものすごく強いんですね。そしてジェンダーの規範に対する違和感と反発と怒り。結局そのへんが全部作品に反映しているんだろうと思いますね。血のつながりに一番問題があるみたいな。
―あと、これも篠田さんの作風の特色だと思いますが、金銭欲がらみの犯罪がほとんどない。特に、裏返った愛が動機というケースが多いですね。
私は他の作家のミステリを読んでいても、動機に関心が行くんです。WHY?に。WHO?はあるんだけど、HOW?は比較的興味が薄い。そうなると、意外な動機を追求する際、愛と憎悪の変転みたいなものが自分では使いやすい面があるのかなと思いますね。それと、人間が殺人を犯す動機として、経済的な要因というのは意外に小さいんじゃないかと思います。金のように見えても、実はプライドや愛憎が根元にある。
―統一モチーフとしてさまざまな建築が出てきますが、建築とそれぞれの事件を絡める楽しさや苦心についてお聞かせ下さい。
自分でひとつの物語を書こうとする時、これは建築探偵に限らないのですが、わりと背景から作っていくところがあって、舞台になる土地の地図や家の設計図を作って、歴史を作って、ではそこに相応しい事件は何か……という作り方をすることが多いです。小説の中である程度大きな役割を果たす建物は、ゼロから作ることは出来ないので、出来るだけモデルを探して、写真などを手元に置いておいて、登場人物が二人で会話しているようなシーンならその部屋の平面図を頭の中で描けるようにしておくんですね。建物を物語の支柱みたいに使うというのは、苦労よりむしろ楽しみの方が大きい気がします。
―これだけの長期シリーズだと、最初からの読者の他に途中から新規参入してくる読者も多いと思いますが、そういった方々からの反応はいかがですか。
サイン会などをやった時も、最近読み出したっていう若い子も来てくれて、高校生ぐらいの子から『angels』を読んでリアルに感じたと言ってもらったり、現役の大学生から、『灰色の砦』で深春が大学に入って覚える孤独や挫折感を、生々しく自分も感じているみたいな反応があると、物事には変わっていく部分と変わらない部分があって、変わらない部分というのも少なくとも今はまだあるんだなあ、と思いました。だからこそ50歳をとっくに過ぎても書き続けていられるし、読んでもらえるんでしょうけど。
―シリーズ中で気に入っている作品は。
ひとつ挙げるなら、『胡蝶の鏡』。あれはいうなれば「ヴェトナム戦争」と「伊東忠太」と「芭蕉の発句」の三題噺で、自分でもまあうまく書けたな、と。
―シリーズ本編はこれで完結したわけですけれども、今後、キャラクターを使った外伝などの展開は考えておられますか。
神代さんの大学時代の話を原書房さんで書く約束をしているので、2011年に書き下ろしで出したいです。それからまだ漠然としていますが、京介のクロニクルのうち高校時代が空いているので、そういうのもありかな。もうひとつ、京介はこの後は神代さんちで家政夫やっている、というのが一応の未来なんで(笑)、『魔女の死んだ家』みたいにふらりと現れては事件を解決して去っていく家政夫兼時々探偵というのはあり得るかな。具体的なプランではないですが。ただ、書くとまた辛い目に遭わせなきゃならなくなるかも知れないから、扉の向こうで幸せにやってる方がいいのかなあ……。
―最後に、読者へのメッセージをお願いします。
ありがとうございましたとしか言いようがないです。結局、多くの方が読んでくれたからここまで続けられたわけですから、本当に感謝あるのみです。
―本日はありがとうございました。
(メフィスト 2010. VOL.3より)
主な登場人物(年齢は2003年5月現在)
久遠(くどお)アレクセイ<桜井京介>(さくらい・きょうすけ)
桜井京介の名で、W大学文学部大学院を卒業後、市井の建築史研究家に。突如、蒼らの前から姿を消し、実の父がいる久遠家の屋敷に19年ぶりに戻る。33歳。
蒼(あお)
生まれてからの4年を美杜杏樹、その後の6年を薬師寺香澄として過ごした後、京介らと暮らすこととなり、京介のアシスタントに。W大文学部の学生。24歳。
栗山深春(くりやま・みはる)
京介のW大学の同級生。大学一年時に、大学近くの「輝額荘」で京介と出会う。大学卒業後はフリーターとなり、京介とルーム・シェアをしていた。34歳。
神代 宗(かみしろ・そう)
22年前、イタリア留学から一時帰国の際、久遠家の屋敷で京介と出会う。その後、京介と東京で同居する。W大学文学部教授。京介の指導教授でもあった。58歳。
久遠グレゴリ
鉱山経営によって巨万の富を得た久遠家の現当主。アレクセイの父。妻、ソフィアを25年前に亡くす。68歳。
久遠エレナ
グレゴリの妹。アレクセイの叔母。静岡の建築家と離婚後、久遠家に戻る。63歳。
久遠モイラ
グレゴリの娘。アレクセイの妹。1年前に鏡平のリゾートホテルで、陶孔雀の名で、京介らの前に姿を現した。32歳。
兼永規矩江(かねなが・きくえ)
久遠家でモイラの家庭教師をした後、家政婦に。60代。
真鍋泉(まなべ・いずみ)
久遠家の遠縁で元医師。50代。
松浦窮(まつうら・きわむ)
6年前に、傷害で逮捕されたが、精神病者を装い刑を免れ、収容されていた病院を脱走。彼らしき死体が発見された後、ルポライター・宮本信治を名乗る。犯罪者。30代。
門野貴邦(もんの・たかくに)
多くの企業の重役を務め、財界・官界・政界に広く顔が利く謎の実業家。神代を22年前に、久遠家へと導いた。81歳。
高倉美代(たかくら・みよ)
門野の秘書。
輪王寺綾乃(りんのうじ・あやの)
京都で千数百年続く堂上公家の末裔で、以前は美貌の霊感少女としてテレビ出演もしていた。20歳。
篠田真由美(しのだ・まゆみ)
1953年、東京都本郷生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。専攻は東洋文化。
91年に『琥珀の城の殺人』が第二回鮎川哲也賞の最終候補となり、翌年、東京創元社より刊行。中井英夫氏らの注目を集めた。建築探偵桜井京介のデビューは94年。以来、絢爛たる悪夢を内包する館たちのために京介、蒼、深春らは走り、成長する。著書に「龍の黙示録」シリーズ、「北斗学園七不思議」シリーズほか、『閉ざされて』(角川書店)、『アベラシオン』、『緑金書房午睡譚』(いずれも小社刊)などがある。
エンタメ小説の登場人物は「名前」「外見」「性格」の三要素からなり、それぞれの要素は「リアルっぽい」から「記号っぽい」へ、対立する極の間で色合いを変える。わかりやすさとインパクトを第一に考えるなら、一度決めたこの要素と色合いはぶれないことが望ましい。その望ましくないことを、誰に頼まれた訳でもないのに必死こいてやっていたのが建築探偵シリーズだ。いままで変化の多くは蒼に起きていたが、主人公桜井京介にも別に本名があったことが前作で明らかになり、最終作ではもうひとつの名が登場する。以前からTPOで変化した性格は、過去に遡ることで当然のごとく別の面を顕し、いままで口にされなかった本音が出る。そして彼の最大の特徴である外見も、かなり壊れたというか壊した。「眼鏡・美形・ツンデレ」という記号の破壊なくては物語は終わらなかったからだが、心平らかにお話を楽しみたい読者には不親切だったかも知れない。ごめんよ。
1994年9月に『未明の家』が刊行されて以来、「建築探偵桜井京介の事件簿」シリーズは、本作で19作を数えました。その16年以上にわたるシリーズがついに完結です。
『僕は――ヒトゴロシ』という詩を残して姿を消した桜井京介。その詩の意味とは? そして久遠家のルーツとは? これまでの作品で提示されてきた謎が、全て明らかになります。496ページとシリーズ“最厚”のボリュームで、その内容と合わせて読み応え十二分! 凄いっす! ぜひともお手に取って、ご覧ください!!
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『原罪の庭』
密閉された温室に屠られた富豪一族。事件のカギは言葉を失った少年に!
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『美貌の帳』
伝説の女優が「卒塔婆小町」で復活。その凄絶美が地獄の業火をもたらす!
講談社ノベルス
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『センティメンタル・ブルー』
初めてガールフレンドを持った11歳から20歳まで。蒼によるシリーズ番外編。
講談社文庫 -
『月蝕の窓』
哀切きわまる歴史を持つ洋館、月映荘を見守っていた京介を襲う血の惨劇!
講談社文庫
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『綺羅の柩』
シルク王の失踪が悲劇をよぶ。30年以上も解けなかった謎に京介が挑む!
講談社ノベルス
講談社文庫 -
『angels―天使たちの長い夜』
人気のない校内に見知らぬ男の死体。閉じた世界で高校生たちが見たものは。
講談社文庫
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『Ave Maria』
血塗られた惨劇から14年。時効を前に『原罪の庭』の真相に新たな光が!
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講談社文庫 -
『失楽の街』
都内で続発する連続爆破事件。呪詛にも似たネット上の犯行宣言に京介は……?
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『建築探偵桜井京介 館を行く』
単行本