初めまして、神谷一心と申します。
この度、島田荘司先生が選者をされているばらのまち福山ミステリー文学新人賞を頂き、ミステリー小説を上梓することになりました。
2010年に電撃文庫にて『精恋三国志 Ⅰ』という中華風ファンタジー小説を刊行して以来、私にとって二冊目の本になります。
刊行によせて作品の見どころを少しでもお伝えしたいと思い、この文章を書いています。
『たとえ、世界に背いても』は人類でも最高レベルの頭脳を誇る天才医学者、浅井由希子博士のスピーチから始まります。
場所は日本から遠く離れたスウェーデン、ノーベル賞の晩餐会。
浅井博士は息子の浅井和己が紫斑性筋硬化症候群という奇病に冒されていたこと、息子を助ける為に生涯を研究に費やしたことを告白します。
難病に苦しむ息子と治療法の開発に勤しむ母親という美談に聴衆は感動に包まれますが、それもつかの間、
「私の息子は自殺したのではありません。長峰高校の元一年B組の生徒達によって苛め殺されたのです」
という告白によって会場には不穏な気配が漂い始めます。
告白の最後に、彼女はとある方法によって人類史上、未曽有の復讐劇を始める、というのが物語の始まりになっています。
浅井博士が行った、このとある方法が一つ目の見どころかと思います。
最初にこの極めて残酷な復讐劇を思いついた時、一体、どんな物語になるのだろう、と創作者として心が躍りました。
同時にあまりにも危うい題材な為、このままただの復讐劇にしてはいけないという自制心も働きました。
思考錯誤の果てに、事件に巻き込まれた少年少女達の不安や勇気と、
それを取り巻く大人達の矛盾と葛藤を元にした物語として私はこの作品を描くことにしました。
物語は事件に巻き込まれた元同級生の少女とその幼馴染みの少年を中心として、
地方都市に住む不良の兄を持つ気の弱い青年。
少女を守ろうとする勇敢な少年の伯父に当たる刑事。
スウェーデン在住の家族を愛する聡明な女性精神医学者。
両親を交通事故で失ったまだ幼い孫娘を一人で育てている老人。
事件の真相に触れてしまい、警察という組織の矛盾に葛藤するキャリア官僚。
といった多種多様な人物によって語り継がれます。
彼らの証言が全て出そろった時、ひとつの壮大な物語が生まれます。
そして、その物語を誕生させようとした、とある作中人物の異常な動機と、
見事に成し遂げてしまった主人公のひたむきな抵抗が復讐劇の最終章を彩ります。
人間が生来備えている無垢と純粋さが、凝り固まった知性や理屈を凌駕する瞬間がある。
それがこの作品の二つ目の見どころかと思います。
まだまだお伝えしたいことはありますが、あまり長くなるのも良くないと思いますのでこのくらいで。
一生懸命、書きましたので、ぜひ手にとって頂ければ嬉しいです。
何卒、よろしくお願い申し上げます。
1980年生まれ。同志社大学法学部法律学科卒業。2004年、行政書士試験合格。2009年、第16回電撃小説大賞にて『精恋三国志 Ⅰ』で電撃文庫MAGAZINE賞を受賞。2014年、『たとえ世界に背いても』(『たとえ、世界に背いても』と改題)で島田荘司選 第7回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞。
受賞作 『たとえ世界に背いても』(『たとえ、世界に背いても』と改題)
難病を持つ自分の息子を、学級内のいじめで殺害され、復讐に乗り出していく母親という構図は、現在旬の社会テーマであるから、この骨格でいくつもの力作や、ベストセラーが生まれている。当作品もその流れの内にあって、行動各所細部の法的な疑問点とか、社会的倫理観、医学上のリアリティなどにあえて目を閉じ、冷酷な報復に邁進する主人公を描いて、江戸以降の日本人が確信するところの死刑報応感情の正義に奉仕、あるいはくすぐった、胸のすく物語ということになるであろう。
残酷ないじめと殺害事件の発生から、これに報復する肉親の一途な行動、そして見事なその成就、という単純構造であるから、小説は猛烈なエネルギーで、こちらを一気に結末まで引っ張ってくれる。痛快で面白い一気読み小説に仕上がっていることは間違いないから、時の利を得れば読者によく買われる見込みもあり、その意味でジャンルの発展にも、あるいは貢献してくれるかもしれない。
文章も上手であり、細部から全体にかける奇妙な発想の歪みから、催奇的、奇形的組み上がりの問題作でありながら、登場人物の発言内容、そのたたずまいなどには不思議な成熟と安定が感じられて、作には充分な完成度があり、これ自体が、平和憲法順守を叫びながら問答無用に死刑を存置して議論を避け、倫理観の必要性を真顔で説きながら、社会各所に持続する理不尽ないじめや村八分は笑顔で行使する分裂型の日本人をよく映して感じられて、なかなか多くを考えさせられた。本賞受賞相当の達成感となれば、今回はこの作以外に考えられないであろう。
突風のごときストレートな構成、壮大な視野、読み手をあきさせないスピーディな展開とか、パニック各所に用意された加虐のアイデア、拷問動画のサイトへのアップなど、時代のツールの巧みな使いこなしは、娯楽映像に馴染み、サディスティックな感性を発展させつつある今日の大衆に、よく奉仕し、またアピールもするであろう新世紀エンターテインメントとして、一級の仕上がりを示している。映像化にも適した力作と言ってよい。 しかし同時に、釈然としない諸要素もまことに数多く、この作を一時的な流行商品とせず、時代の風化に堪え得る問題提起とするために、さまざまな改善の提案を行いたい気分が、次第に感心に勝っていった。しかしそうした分別臭い発想を作者が必要とし、受け入れるかどうかは大いに疑問でもあり、そのような行儀心を超越するがゆえの、アウトロー的面白さだとする主張はあり得る。また作者も、この作の支持者たちも、当作の長寿性うんぬんには興味がないかもしれない。
当作における作者の主張や真意がどのあたりにあるものか、各所に散見される思いきった表現が、作者自身の本心からの思想であるのか、それとも刹那的に歪んだ新世代に、あえて身を寄せた代弁であるのか、判定のむずかしいところがあった。
そもそも事件の発端となるいじめへの、客観的な分析や詳細説明がなく、点検不要の極悪として提示され、犯人生徒たちへの情無用の痛快な死刑が、無差別の一般殺戮にと発展していくのだが、こうした流血沙汰自体が人類に対する理不尽ないじめであって、翻って紫斑性筋硬化症候群患者へのクラス内いじめの原点に視線を戻せば、これにもまた、同様の歪んだ正義感や、懲罰意識が介在したかもしれない。かつてハンセン病患者への拉致的隔離や、断種強制の国策など、国家規模のいじめがわが国に実在した。こういう俯瞰の視線はおそらく作者には余計なことで、作中には存在していない。
かつて広域凶暴犯として全国指名手配され、死刑となった永山則夫の、赤貧洗うがごとき生い立ちや、それを放置した国家の責任も点検されるべき、の主張を思い出すが、ノーベル賞学者の利己的正義感に対する司法や行政側の主張も、常識依存の無能一方ではなく、もう少し有効な理屈の発露を望みたい気分になった。
恐怖に慄きながらもページをめくる手が止まらなくなるパニック・ミステリー長編が、ばらのまち福山ミステリー文学新人賞から登場です! 本作『たとえ、世界に背いても』では、我が子を苛めで自殺に追いやった元クラスメートたちに復讐を誓った女性天才医学者が、誰も思いつかないような凄惨な処刑方法で23人の高校生を襲います。医学者の計画は完遂されるのか、そして、標的となった少女を主人公の少年は守り抜くことができるのか――ドライブ感満点のストーリーとともに、凄惨な事件が現実に多発する現代に生きる私たちに「何か」を考えさせてくれる超問題作です。読み始めたら徹夜間違いなしの新しいエンタメ小説の誕生です。どうぞご期待ください!