『恋と禁忌の述語論理』 著者:井上真偽
定価:本体960円(税別)
初めまして、井上真偽(まぎ)と申します。
このたびは「数理論理学」というエンタメには鬼門のような題材の作品でデビューさせて頂きました。メフィスト賞の懐の深さに大変感謝しています。と同時に、早くも不安に駆られています。こんな本文中で堂々と数式を展開する小説が、読者の皆様に受け入れてもらえるでしょうか……。
ただ、ミステリ好きなら誰しも一度は「論理学」という言葉の響きに魅かれたことがあるかと思います。そして試みに論理学の参考書を手に取り、数ページ読んで「あ、何か思ってたのと違う」とすぐさま棚に戻されたことと思います。そういった経験を持つ方たちには、是非本作をお読み頂きたいです。「こういう使い方をすれば数理論理学も推理に応用できる」といったアイディアや、「数理論理学で推理を分析するとこんなに気持ちいい」といった知的爽快感を、作品にはたっぷり詰め込んだつもりです。
また数学嫌いな方には、本作は地雷というよりほぼ「丸見えの爆弾」に映るかもしれません。が、数式が苦手な方にも物語を楽しんでもらえるよう目一杯工夫を凝らしましたので、文理を問わず一人でも多くの方に手に取って頂ければ嬉しいです。
数理論理学は確かに難解な学問です。それは単に複雑な数式を使うからではなく、人の思考で人の思考を知るという、一種自己言及的なメタ構造を持つことによる難しさです。ですがそこで得られる知見は深遠です。本作ではなるべく難しい話を抜きに、そんな数理論理学のエッセンスのみを抽出してお伝えできればと思っています。
もちろん単に独身アラサー美人目当てでも構いません。どうか一度お目通しください。その上で少しでも数理論理学の持つ深みや驚き、あるいは年上女性から物を教わる悦(よろこ)び、あるいは年下の男子大学生を翻弄する愉(たの)しみを味わって頂けたら幸甚です。
また今後は数理論理学に拘らず、色んな形のミステリ、エンタメ小説を書いていきたいと思っています。どうぞこれからもよろしくお願いいたします!
ついにメフィスト賞も新世紀! 第51回メフィスト賞が発売となります。内容は……これぞ、理系ミステリの到達点! 「数理論理学」を扱う、前代未聞の名探偵が登場します。ですが、「難しくて読めない……」なんてことは、まったくありません。魅力的な名探偵・硯さんに導かれるまま事件に立ち向かううちに、何だか頭が良くな(った気がす)るはず!
なぜ応募先にメフィスト賞を選んだのですか?
むしろ、メフィスト賞以外にこの作品の応募先が浮かばなかったです。応募要項が変わると知ったときはかなり青ざめました。
受賞を知ったとき、最初に思ったことは? その後、まずしたことは?
受賞といいますか、最初の電話連絡(受賞決定前)の段階で思わず涙ぐみました。声が震えていたので担当のYさんには相当不審がられたと思います。そのときヨドバシカメラで電気スタンドを選んでいましたが、予定よりワンランク上のスタンドを買いました。
受賞の知らせを聞いたのはどこ?
正式な通知は講談社(で打ち合わせのとき)です。一応仮内定みたいなことは言われていたのですが、その瞬間まで心のどこかで受賞を疑ってました。セリヌンティウスなら「殴ってくれメロス」と言うところです。
作家を志したきっかけは?
昔からクリエーターになりたかった、物語を作るのが好きだった……あたりが理由でしょうか。明確なきっかけはないですが、高校の頃には「将来小説家になる」と決めていた気がします。
初めて「小説」を書いたのはいつ頃? またどんな作品?
中学は剣道部だったのですが、その部室になぜか黒板があり、そこに「黒板一ページ分の掌編小説を書く」という暇潰しをよくしていました。剣道はまったく関係ありません。部員には(おそらく)受けは良かったのですが、翌日には消していたためどれも幻の作品になりました。写真に残せば良かったと今では後悔です。
講談社ノベルスで好きな作品をあげるなら?
京極夏彦先生『姑獲鳥の夏』、森博嗣先生『すべてがFになる』、西尾維新先生『クビキリサイクル』です。メジャーどころすぎて「にわか」などと呼ばれそうですが、本心なので仕方ありません。ただ最初に読んだノベルスは我孫子武丸先生の『殺戮にいたる病』です(こちらも好きですが当時のトラウマはひどかった)。
影響を受けた作家、作品は?
実は最初の読書傾向はミステリよりファンタジー寄りで、マイクル・ムアコックの『エルリック・サーガ』やピアズ・アンソニイの『魔法の国ザンス』などを好んで読んでいました。江戸川乱歩の小説やコナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』なども、ホラー的な読み方をしていたと思います。翻訳物が多かったので自分の初期の文章は妙に硬く、そんなガッチガチのつまらない文を書いていた自分に「日本語はもっと自由なんだ」と啓示を与えてくれたのが、西尾先生の『クビキリサイクル』でした。
あとミステリに目覚めてからは、島田荘司先生の『斜め屋敷の犯罪』と綾辻行人先生の『十角館の殺人』にかなりの衝撃と影響を受けています(またメジャーどころですが……)。
執筆スタイルは?
第一稿はカフェで遊牧民族的にふらふらと、推敲は自宅で農耕民族的にじっくりと、というスタイルです。
執筆中かかせないアイテムは?
ノートPC、USB、PCメガネ、目薬。視力は本当に消耗品です。
執筆期間はどれくらい?
今回の応募作は第一稿に一ヵ月、推敲に四ヵ月くらいかけました。
読者の方々に一言!
本作は数理論理学を主軸に置いた作品ですが、追求するのはあくまで小説としての面白さです。トリック、ロジック、展開、キャラ、今の自分に出せる全てをこの作品に投入しました。この小説を読む時間を楽しんで頂ければ幸いです!
数理論理学とは、数学を使って人の論理を研究する学問です。
数学で人の論理を研究する──などと書くと、何だかマッドサイエンティスト気味で怖い印象ですが、実際に数理論理学は怖いです。
普段私たちは毎日の生活の中で、自分の意志で自由に喋り、思考し、判断しています。自由に友人と熱く語らい、身内や恋人と些細なことで揉め、ネットで愚痴り、あるいは孤独に思考をループし、あるいは将来を悲観したり楽観したりしています。
でもそもそも、自由な思考とは何でしょうか。
人は自由に自分の体を動かせますが、空は飛べません。つまり物理法則を無視してまで自由にはなれないのです。それと同じく、思考には思考が従わねばならない一定の法則があります。
その「思考の法則」を明らかにしよう──というのが、論理学の出発点です。
一見自由な人の論理的思考ですが、実は色々と制約があります。その制約ルールを分析し、人の論理が従うルールを記号的に表現しようとするのが「数理論理学」です。
なぜ記号を使って表現するかというと、その方が断然分析しやすくなるからです。この「記号を使う」部分が「数学」にあたります。元々西洋思想史では論理学は哲学の一部でしたが、それを古代ギリシアのアリストテレスが体系化して分離し、中世のオッカム(「オッカムの剃刀」のオッカム)や近世のライプニッツ等を経て、19世紀から20世紀初頭にかけブールやド・モルガン、フレーゲなどの手により数学化されました(またそうして出来た数理論理学自身が、数学の基盤そのものを分析する道具にもなっています)。
では、数理論理学が明らかにした怖さとは何なのか──あるいは論理を記号的(数学的)に表すとはどういうことなのか、そもそもそんな物を使った推理小説が成り立つのかといったことについては、ちょっとCMみたいで嫌な感じですが、是非本作をご覧ください。
と言いますか、本作ではまさにそういった部分を表現したかったのです。この物語の中で、これらの疑問が皆さんの中で綺麗に解消されることを切に願っています。
どうぞよろしくお願いします!
※大辞林では、「形式論理学を記号の数学的演算の体系として発展させたものが、記号論理学である」としています。
※ちなみに数学では記号を使って問題を形式化することから、数理論理学は別名「記号論理学」/「形式論理学」とも呼ばれます。
はやみねかおる先生の夢水清志郎シリーズの第一巻冒頭で夢水元教授の部屋から『記号論理学』の本が出てきますが、アレがコレです。あと蛇足ですが西尾先生の戯言シリーズの≪堕落三昧≫斜道卿壱郎の研究施設の正式名称が「斜道卿壱郎数理論理学術置換ALS研究機関」です。
※あとネタバレとは別の意味で、数学アレルギーの方はどうか本作を巻末から読まないでください。アナフィラキシーショックを起こす巻末資料が掲載されています(それらはただの参考資料で理解せずとも事件の謎は解けますので、そこはご安心ください!)。