戦前は「希代の軍神」と崇められた楠木正成は、戦後なぜか多くを語られることがなくなりました。それもまた一つの謎なのですが、実はそこに、日本の根幹に関わるような秘密が隠されていたのです。その閉ざされていた謎を顕わにしてみました。
水戸光圀によって「忠臣の鑑」と称えられた、南北朝時代の武将・楠木正成は、源義経・織田信長に勝るとも劣らない軍事の天才でした。しかし彼は、敗色濃厚な湊川の戦いになぜか自ら赴き、そこで命を落とします。その時、正成の首を取ったのは伊予国の大森彦七という武士でした。そのため彦七は、剛勇の者として賞賛されたのですが、その後、彦七は正成の怨霊に何度も祟られたため「物狂いのよう」になってしまいます。
やがて後世、新歌舞伎十八番の一つとして九代目・市川團十郎らによって演じられた『大森彦七』は全国に広まり、また『画図百鬼夜行』で有名な鳥山石燕が、雑司ヶ谷の鬼子母神堂に彦七を描いた板絵を奉納してもいます。
それほどまでに有名だった彼の名前が、今やすっかり歴史の表舞台から消えてしまったのは何故でしょう。また、彦七がそこまで正成に祟られなくてはならなかった理由は一体何だったのか? いや、そもそも天才武将である正成が最後の最後にどうしてあんな無謀な戦いに臨んだのか……。
そこには、日本の歴史の深い謎が隠されていました。ぜひ本書をお手に取って、その真相に驚いていただければ、作者としてこの上ない幸せです。
また今年は、世阿弥の生誕六百五十年に当たります。こんな記念すべき年に、全く偶然にも、世阿弥にまつわる話を上梓できるのも、何かのご縁と感謝しています。
高田崇史(たかだ・たかふみ)
昭和33年東京都生まれ。明治薬科大学卒。『QED 百人一首の呪』(講談社ノベルス)で、第9回メフィスト賞を受賞しデビュー。著作に「QED」シリーズ、「カンナ」シリーズ、「鬼神伝」シリーズ(2011年アニメ映画化)、「千葉千波の事件日記」シリーズなど。近作に、『毒草師 パンドラの鳥籠』がある。