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『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』辻村深月|講談社ノベルス

講談社ノベルス

「お母さん。これは、ひどい」─娘は母を殺せるのか!? 結婚、仕事、家族、恋人、学歴、出産─。社会の呪縛は、娘たちを捕えて放さない。だからこそ、すべての女子は「箱入り娘」である。 『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』辻村深月
“30歳”という岐路の年齢に立つ、かつて幼馴染だった二人の女性。都会でフリーライターとして活躍しながら幸せな結婚生活をも手に入れたみずほと、地元企業で契約社員として勤め両親と暮らす未婚のOLチエミ。少しずつ隔たってきた互いの人生が、重なることはもうないと思っていた。あの“殺人事件”が起こるまでは……。
みずほとチエミはどちらが私であってもおかしくなかった娘です。辻村深月
著者プロフィール 辻村深月(つじむら・みづき)
1980年2月29日生まれ。千葉大学教育学部卒業。
2004年に『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞しデビュー。
他の著作に『子どもたちは夜と遊ぶ』『凍りのくじら』『ぼくのメジャースプーン』『スロウハイツの神様』『名前探しの放課後』『ロードムービー』(以上、講談社)、『太陽の坐る場所』(文藝春秋)、『ふちなしのかがみ』(角川書店)がある。
新作の度に期待を大きく上回る作品を刊行し続け、幅広い読者からの熱い支持を得ている。
著者コメント

 チエミとみずほは、どちらが私でもおかしくなかった「娘」であり、「女子」です。だけど、どちらでもなかったからこそ、書きたくて仕方がなかったヒロインです。
 この話には、二組の「母娘(おやこ)」が登場します。これもまた、どちらも私のうちであり、またどちらも私のうちでは起こりえなかった「事件」を抱えています。
 彼女らの中に、読者の「あなた」を少しでも見てもらえたなら、起こりえない事件を起こりうると見てもらえたなら、書いた甲斐があったというものです。どうぞよろしくお願いします。

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担当コメント

『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞して以来、新しい作品を意欲的に発表し続けている辻村深月さん。本作は、辻村さんが一年以上かけて書き込んだ長編書き下ろし作品です。私自身、初めて読んだ時に登場人物たちが身近に生きているかのようなリアルさに驚かされました。
『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』という不思議なタイトルは、青春ミステリを数多く執筆し、エンターテインメントをこよなく愛する辻村さんならではの最強のネーミングだと思います! 読後、「このタイトルしかあり得ない」と思わされること必至です。ぜひお読み下さい!

この物語を書いたきっかけは。

酒井順子さんの「負け犬の遠吠え」を読んだんです。酒井さんのいう「負け犬」という言葉は、本来女性たちが良い意味も悪い意味も込めて自分たちを呼ぶ自称のものだったのに、なぜか他人から言われる蔑称のように誤解されて広まってしまった。その誤解も含めて当時すごく話題になりましたよね。文庫版には林真理子さんが解説を書いているんですが、それを読んで「あっ」と思ったんです。「ワイドショーで、チャリンコにのったボサボサ髪の主婦が、『私たち勝ち犬は』と言うのを聞き、それこそヒッと叫んだことがある。」と。酒井さんが考える勝ち犬はそうした主婦たちではない、ここで書かれている「負け犬」とは地方で事務服を着て仕事している女子たちではない、と。私は昨年まで兼業作家で、地方(山梨)でまさに制服を着て事務職をしていたので、この言葉はとてもしっくりきました。と同時に、では「負け犬」にも入らない、そういう私のような女の子たちをどんな名前で呼べばいいのだろう、と疑問に思ったんです。その答えを探すような気持ちで、この物語を書き始めました。

29歳という今、30歳の女性たちを選んだのはどうしてでしょう。

最初は29から30歳なのか、30から31歳なのか悩んだんです。30歳というのは、子供目線から大人に変わる節目のときだという感覚があるし、もはや言い訳のきかない歳でもあります。だからこそ、みんな30前の焦りはすごい。でも、30になったからって終わりなのではない、そこからを描かないといけないと思ったんです。40とか50歳になったら、また別の苦しさが出てきてしまう。そうなる前の今だからこそ、書きたいと思いました。やらなければ先に進めない、と。

この作品で描きたかったことは。

女子の息苦しさ。特に「地方負け犬」という観点で考えるうちに、女として切実な「格差」の存在にぶつかりました。東京と地方、モテる、モテない。それと無視できなかったのが「母娘」の関係です。母と娘というのはすごく特別な関係で、たくさんの新書やノンフィクションが現実的なアドバイス込みの結論を書いていますが、私は小説としての結論を書きたかった。で、「母親殺し」の物語を書こう、と一年かけていろいろ試行錯誤しました。この問題に正面から向きあってみたかったんです。やっと書きあげられて、デトックスできた気分です。(笑) また、今回どこまでを描いて、どこを描かないか、ということも考えました。小説の面白さというのは、作家が提示したイメージを読み手の人が各々の経験や想像力でどこまでふくらませて受け取っていくかだと思うんです。読み手の人によって、差がでる。そこを意図的にやってみました。

一番苦労したことはなんでしょう。

誰が誰に対してどれだけ依存しているのかという関係性、強弱のバランスが難しかったです。特に第1章がとても苦労して、実際かなり手をいれました。その甲斐あってか、2章はキャラクターが動き出してそれこそ1日で書いてしまいましたが。でも、第1章だけなら今までの私でも書けたと思うんです。どうしたら現実を自分の感覚でとらえることができるのか、まさに手探りで書いていったからこそ、このラストが導き出せたのだと思っています。

ネタばれにならない程度にタイトルについて、教えて下さい。

最初書き出した時点では(タイトルは)決まってなかったんです。書き終わってから、これしかない、と。このタイトルをつけることは冒険だったかもしれないけど、それができた自分のことを今は褒めてやりたい。読んだ方の人生経験によって感じ方が違うと思う。それがいいと思います。

『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』を読んで。

「この登場人物たちは、どこか自分と重なる部分があるのです。」

六花チヨ

「私にはなにもない」
チエミの気持ちが胸に突き刺さりました。それは、自分を見ているようで……。

「大人の女性」。いつの間にか、自分もそう呼ばれる年代になった頃──でも、結婚、仕事、夢……「自分にはこれがある!!」そう呼べるものが何もなくて、誕生日がくるたび、友達が結婚するたび、あせりを感じていた、あの頃の自分と重なってしまって……。

羨望、嫉妬、自己否定……。できればなかったことにしたい、そんな想いたちをえぐり出すように描かれたこの物語を読み進めるうち、いつの間にか私は「母殺し」のチエミになって、そして主人公のみずほになって、彼女達の葛藤に涙していました。同時に、今、母親として生きる私にとって、彼女達を縛るチエミの母、みずほの母にも共感してしまうのです。
どうしてでしょう。
この物語の登場人物達は、どこか自分と重なる部分があるのです。政美にも、亜理紗にも、翠にも、自分のカケラを見つけることができました。
ですから、たくさんの女性に読んでいただきたいと思いました。
きっと、どの方が読んでも登場人物の誰かの中に自分を見つけることができるはず。そして、主人公達と同じように苦しみ、悩むうち、自分がこれからどう生きていくべきか考えさせてくれる作品だと思いました。

<ろくはな ちよ>
8月25日生まれ。漫画家。三重県在住。
2000年6月期「Kissフェニックス賞」でデビュー。
2003年からスタートした『I S 〜男でも女でもない性〜』で、
2007年に講談社漫画賞を受賞。

IS

「現代に再降臨した『コインロッカー・ベイビーズ』でしょう」

浅野智哉

チエミを追跡してゆくうち、自らの欠落と向き合わざるをえなくなる、みずほ。
出口がひとつひとつふさがれ。最後に開いた穴から。
残酷な癒しの景色が見えました。

これは憎しみの薄皮に包まれた女性が、母親の産道を通って、生まれ直す物語ではないでしょうか。
現代に再降臨した、『コインロッカー・ベイビーズ』でしょう。

すごい長編です!

<あさの ともや>
1973年兵庫県生まれ。会社員を経てフリーライター。「Weeklyぴあ」「papyrus」「クイック・ジャパン」などカルチャー誌を中心に、インタビュー・書評を手がける。京極夏彦原作の映画『魍魎の匣』劇場パンフレットにエッセイを執筆。サンドウィッチマン自叙伝『敗者復活』(幻冬舎)では構成を担当。小説に『竜留城の王』(スーパーダッシュ文庫)ほか。映画ノベライズ『TAJOMARU』(講談社)を担当。

「読者には、読み終わった後に何が迫ってくるのだろう。」

池田進吾

生まれ育った町ではいつもの仲良しが集まり、一人欠けると少なからずその人の話題がでる。当然会話は一方通行なので、その場に居なかった人は何を言われているかは知らない。目に見えない繋がっているはずの小さなずれが、小さな透明の塊となって馴染みの空にふわり浮かぶ。大人になり、都会と云われる場所で変わろうと思いながらも変わらずに生きて来たつもりが、何かの拍子で捻れて地元の友人との間にわだかまりが生じ、それがまた見えない塊となって浮かび、既に浮かぶ塊と混じり少し大きく膨らむ。その空気のような目に見えない塊が、関わる人達の念のようなもので更に膨らみ、何かを探して所構わず動き廻り、方向を見失いそうになった弱い自分に迫る。とりわけ親子の確執は執拗に纏わり付き、時には離れ、忘れた頃に何倍にも膨らんで身を射す。読者には、読み終わった後に何が迫って来るのだろう。

<いけだ しんご>
1967年北海道生まれ。デザイナー。1997年「67(ロクナナ)」を設立。
『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』の装幀を手がける。
装幀の仕事に、森絵都『ラン』、誉田哲也『武士道エイティーン』など多数。
著書に絵本『TONY トニー』がある。

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。

男子、読んどけ。
「女ってわからない」という男子にこそお勧めしたい。
これ1冊で女子のことが全てわかるとは申しませぬが、参考書としてはかなりのスグレモノです。

ジュンク堂書店 池袋本店 矢部公美子さん

ジュンク堂書店 池袋本店
矢部公美子さん

女子コミュニティーは苦手だった。遠くから見ていただけだけれど、持ちあげたり持ちあげられたり、そんな品定めみたいなことに何の意味があるのか、と嫌悪に近い感情すら抱いていた。『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』──僕はこの本で初めてその内側の人となった。想像以上に息苦しい世界……。他者の視線の中で生きる感覚は、僕ら男(子)の比ではない。だからこそ、母親だけは無条件に自分の味方であってほしいと願ってしまうのかもしれない。たとえ母親が同じ女子の延長線上の存在だとしても……。
やっぱり女子コミュニティーは苦手だ。それは今も変わりない。けれども以前よりは少し優しい目で見られる気がする。この本に出会えたおかげで、そこに横たわる痛みも苦しみも、ほんのちょっぴりだけれども、想像できるようになったから。

紀伊國屋書店 新宿本店 吉野裕司さん

紀伊國屋書店 新宿本店
吉野裕司さん

読みながら自分の母親との関係を思い出してしまいました。
母は私の一番の理解者でもあるのですが、時には干渉がうとましく思われわざと距離をおいてしまったりして、この年になっても思春期の頃と大して変わってないのではないかと思います。これが母と娘の関係というもので、このまま一生続くのだろうなあ、と感じました。

丸善 お茶の水店 横田陽子さん

丸善 お茶の水店
横田陽子さん

辻村さんが一歩上の世界に挑戦しているなと感じました。
今までの作品の巧妙なトリックにうならされた私ですが、今度はトリックはない代わりに、アラサーの女の子達の微妙なまでの感情・関係性を描き、うなるよりも先に感情で涙がこぼれました。まさに難産だったであろうこの作品、女の子……いくつになっても、お母さんになっても永遠のオンナノコたち必読です! もちろん、オンナがわからないオトコたちへも。

三省堂書店 神保町本店 大月由美子さん

三省堂書店 神保町本店
大月由美子さん

女子の怖さ複雑さに引きずられまくるけれど、実はファンタジー。
タイトルが気になってきたらもう物語の虜です。カタカナで表記される意味に深く納得!

リブロ池袋本店 矢部潤子さん

リブロ池袋本店
矢部潤子さん

最後まで読むとタイトルの謎が解けます! 女、30代、負け犬。このキーワードにちょっとでも引っかかったら読んでください!

東京旭屋書店 仕入統括課 岩井織江さん

東京旭屋書店
仕入統括課
岩井織江さん

『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』刊行記念 サイン会開催!

【東京】三省堂書店 神保町本店
03-3233-3312
日時:9月26日(土)14:00〜 ※要整理券
終了いたしました

【大阪】ジュンク堂書店 大阪本店
06-4799-1090
日時:9月27日(日)14:00〜 ※要整理券
終了いたしました

※店頭で『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』をお買い求めの際、レジで整理券をお受け取りになって、お越しください。

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