『覇王の死 二階堂蘭子の帰還』について
『覇王の死』は、名探偵・二階堂蘭子シリーズの最新長編です。『悪魔のラビリンス』『魔術王事件』『双面獣事件』に続く、〈ラビリンス・サーガ〉の完結編でもあります。そしてさらに、『人狼城の恐怖』を最後に、ヨーロッパで行方不明になっていた蘭子さんが、ついに帰国して、その健在ぶりを示してくれます。
この四作を通じて、私は徹底的に、昔の探偵小説(江戸川乱歩や横溝正史が書いていたようなもの)の面白さを復活させることに心血を注ぎました。現代の観点からするとリアリティがないと批判を受けるかもしれませんが、それは覚悟の上です。状況設定や推理の論理性なども、あえて多少緩く提示してあります。しかし、その分、物語展開のダイナミックさや事件全体の神秘性を強調してあるわけです。
もちろん、古いものを模倣するだけでは芸がありません。新本格ミステリーが生み出した様々な趣向や手法や欺瞞をこれらの作品に盛り込んであります。その結果、『双面獣事件』やこの『覇王の死』などは、本格ミステリー史上あまり類例のない、希有な作品に仕上がったのではないかと自負しています。
〈ラビリンス・サーガ〉に通底する秘密は、第二次世界大戦の際に日本の軍部が画策した〈M計画〉です。戦争に勝つためのこの恐ろしい研究が、ラビリンスという悪魔のような犯罪者を生み出し、世の中に数々の恐怖を与えました。『覇王の死』では、その〈M計画〉の首謀者も登場して、事の真相がほぼ明らかになります。
また、御存じのとおり、二階堂蘭子シリーズには、常に密室殺人を代表とする不可能犯罪が満載です。『覇王の死』にも密室殺人が二つ出て来ますし、舞台となる村では異様極まりない惨劇が次々と起き、前代未聞の不可思議が登場人物たちに襲いかかります。そういう意味では、読者の期待を裏切ることはないと思います。
読者の皆さんもぜひ、蘭子さんと一緒に――いいえ、彼女に先駆けて――この大事件の真相を推理してみてください。
二階堂黎人(にかいどう・れいと)
1959年7月19日東京都に生まれる。中央大学理工学部卒業。在学中は「手?治虫ファンクラブ」会長を務める。1990年に第1回鮎川哲也賞で『吸血の家』(講談社文庫所収)が佳作入選、1992年『地獄の奇術師』でデビューし、推理小説界の注目を大いに集める。全四部からなる長大な本格推理小説『人狼城の恐怖』は1999年版の本格ミステリ・ベスト10の第1位を獲得した。著書に『魔術王事件』『双面獣事件』(講談社ノベルス)、『東尋坊マジック』(実業之日本社)、『僕らが愛した手?治虫≪激動編≫』(原書房)など多数。
今回の『覇王の死』の着想のきっかけは?
作品を書く時はいつもそうですが、必ずトリックが中心になります。密室殺人とかアリバイ工作を、まず案出し、それから、どういう趣向で作品を彩ろうかと狙いを考えます。犯人捜しに特化しようかとか、ミッシング・リンクものにしようかとか――それがプロットに当たります。そして、トリックに舞台や人物や状況設定を肉付けしながら、しだいに物語を膨らませていくわけです。
通常、それが私の創作方法なのですが、『覇王の死』の場合には、プロットの方が優先で、トリックは付随的でした。というのも、〈ラビリンス・サーガ〉としての最終章であるため、単体の作品であると同時に、サーガ全体の決着も付けなくてはならなかったからです。
そこでまず、『双面獣事件』までで明かされてきた〈M計画〉の残りの秘密を暴露し、『魔術王事件』で持ち越した、江戸幕府の財宝探しを話の中心に据えることにしました。その他に、前々から〈ニューホーリー村〉の謎を書こうと思っていたので、それを合体させてみました。
今回の作品で一番苦労した点は何ですか?
まったく異質な〈眞塊村〉での事件と、〈ニューホーリー村〉での事件を、どう連結させるかという点です。それはうまくいったと思うのですが、後者の謎とラビリンスの関わり合いは、多少薄かったかもしれません。
そして、この作品の読みどころは?
この作品では、島田荘司流奇想ミステリーの手法を大胆に取り入れてみました。また、それに関して懐疑的だった部分を、私ならこういう方法で凌ぐという実践ともなっています(注1)。
もちろん、最大の読みどころは宝探しであり、その隠し方も正体もなかなかうまく達成できたと思っています。
注1:島田流奇想ミステリーの模倣者の作品には、「何々を何々に見間違えた」という趣向がよく出てくるが、「正常な認識力を持つ人間は、そんな安易な誤認はしないだろう」ということ。
今回の作品にキャッチフレーズをつけるとしたら、何でしょうか?
声援みたいですが、「蘭子さん、格好いい!」とか「蘭子さん、素敵!」とか(笑)。彼女が、周囲の人間を推理で振り回す様は、やはり名探偵ならではの傍若無人ぶりですよね。
登場人物の「黎人」と二階堂さんご本人には、どのくらい共通点があるのでしょう?
まったく共通点はありません。作中の「黎人」さんは完全にジョン・H・ワトソンとかアーサー・ヘイスティングズとかのような、記述者に徹した人物像です。
二階堂蘭子には、モデルはいますか?
外見的なモデルはいませんが、一九六〇年代後半の少女マンガの主人公たちの姿を思い浮かべながら創造しました(特に、西谷祥子先生が描いたものとか)。髪の毛が派手な巻き毛なのは、明らかにその影響です(注2)。
探偵的なキャラクターとしては、ファイロ・バンスの女版だと思っていただいてけっこうです。エキセントリックな性格であり、そこに明智小五郎の自信満々な態度が混じっていて、単純に好かれる存在としては書いていません。
注2:デビュー当時、蘭子は、山本鈴美香さんの『エースをねらえ!』のお蝶夫人に似ていると言われた。しかし、時代的には、もっと前の少女マンガの影響を受けている。
現実の未解決事件で、二階堂蘭子に解明させたい事件はありますか?
以前にも、「ハーメルンの笛吹き男」とかフランス王家の秘密とかロマノフ王朝滅亡の件などに言及しました。蘭子さんの場合、日本の事件より、海外の未解決事件の方が似合いそうです。蘭子さんは三億円事件の真相も知っているのですが、諸事情があって公表されていません。
映像化されるとしたら、誰に演じてほしいですか?
十年前には宝生舞さん。今は沢尻エリカさん。目力がある人で、巻き毛が似合う人が良いと思います。巻き毛は絶対条件です(笑)。でも、蘭子シリーズを映像化するのは無理でしょう。
作品中、海外の俳優と同じ、または近い名前が出てきますが、好きな映画作品は?
海外のSF映画やSFドラマが好きで良く見ます。最近見たものだと、映画は『世界侵略:ロサンゼルス決戦』、ドラマは『フリンジ』が面白いですね。
ミステリー・ドラマは『CSI:』シリーズも良いですが、『名探偵モンク』と『奇術探偵ジョナサン・クリーク』が最高です。
国立、函館、能登を舞台に選んだ理由は?
東京の国立市は、私が育った所で愛着があります。それで、蘭子さんたちの家もここにあることにしました。『魔術王事件』の舞台である函館は、北海道で一番好きな場所です。あまり都会化せず、異国情緒が残っている点が良いですね。
『覇王の死』で能登を舞台にしたのは、昔、伯母が金沢に住んでいて、遊びに行ったことがあるからです。水乃サトル・シリーズ『東尋坊マジック』でも日本海に面した土地を舞台にしましたが、あのあたりは、風光明媚な場所がたくさんあって好きなのです。
大長編作品の多い二階堂さん。構成はどのように練るのでしょうか。具体的な作業方法などはありますか?
先ほども述べましたが、まずトリックを案出します。たとえば、密室トリックであれば、そのトリックをどんな場所で行なえばよいか、それを達成するには、どんな人物配置が必要か考えます。それから、周囲の状況や事件の起きた時期などを決定します。最後に物語を盛りつけていくわけです。本格ミステリーの場合、結末が決まっているので、物語を書いていて脱線することはありません。
影響を受けた作家は?
モーリス・ルブラン(のアルセーヌ・ルパンもの)、江戸川乱歩、ジョン・ディクスン・カー。この三人の作品を足して三で割ったものが私の理想です(冒険、怪奇、密室)。そこに、クリスティの心理的閃きや、クイーンの論理的趣味をエッセンスとしてふりかけたいと思っています。
ミステリー作家になろうと思った、きっかけになった作家、作品は?
エドガー・ライス・バローズのような冒険SFか、ヘルマン・ヘッセのような教養小説を書きたいと思っていたのに、何故か本格ミステリーを書くようになりました。情感に頼らず、構成がびっちり決まっているところが、几帳面なところがある自分の性格と合ったのかもしれません。
ここ最近、二階堂さんが注目されている作家さん、作品などは?
〈トリックの盛り込みすぎ〉って、もともとは私のトレードマークだったのに、それを奪った小島正樹さん(笑)。京大推理小説研究会出身者では、大山誠一郎さん。講談社ノベルス出身では、天祢涼さん。それから、島田荘司先生が選者をされている〈ばらのまち福山ミステリー文学新人賞〉からは目が離せません。
趣味は?
犬の散歩とスキー(読書は人生の半分)。昔はインドア派でしたが、笠井潔先生と我孫子武丸さんの影響でスキーを始め、かなりアウトドア派になりました。一月から三月は仕事をしたくないのに、何故か毎年、この時期に仕事が集中します。
大の犬好きだそうですね?
昨年前半、十二年間飼っていた愛犬二匹が相次いで亡くなってしまいました。それで、秋田犬のモエとスタンダード・プードルのカイを飼い始めました。この二匹は性格が正反対なので(静と動)、遊んでいてとても面白いのです。
「手塚治虫ファンクラブ」初代会長だそうですが、一番好きな手塚作品は?
『ジャングル大帝』です。この物語はまさに教養小説(Bildungsroman)で、何度読んでも飽きることがありません。しかも、初出の連載以来、再掲載や単行本が出る度に描き替えがあり、何バージョンもあるので、それを比較検討するだけでもマニア心をくすぐられます。
なお、一月に、手塚先生の評伝第三作『僕らが愛した手塚治虫〈激動編〉』(原書房)を上梓しました。珍しい図版が満載ですから、ぜひ見てください。そこでも、『ジャングル大帝』の歴史について触れています。
最近のおすすめマンガ作品は?
ありません。昔のマンガの方が面白いので、そういうものばかり読んでいます。ただしこれは、私の現代マンガに対するセンサーや琴線が緩んでいるせいもあります。
〈ラビリンス・サーガ〉もこれで最終話。次の新たなる二階堂蘭子の「敵」の構想はありますか?
シリーズ的に出てくる敵はいません。しかし、未だ語られざるラビリンスの事件があるので、それはいずれ書くかもしれません。
今年は短編集が刊行予定だそうですが、どんな内容のものでしょうか?
五月に講談社ノベルスから、『増加博士の事件簿』が出る予定です。短編をあまり書かない私ですが、これは一話が原稿用紙十枚のショート・ミステリーが二十数本入ったものです。
増加博士は、カーのフェル博士(増える博士)のパロディです。
その後の予定は?
前々から予告している『巨大幽霊マンモス事件』を書かねば。短編「ロシア館の謎」の続編で、『人狼城の恐怖』にも出て来た、カール・シュペア老人の若い頃の物語です。
それから、蘭子さんの短編集。講談社文庫『密室殺人大百科』に「泥具根博士の悪夢」という中編が入っていますが、これに、毒殺ものなどの短編を三つほど足して、『ラン迷宮』という作品集を出したいと思っています。
読者の方々に、一言。
長い間、蘭子シリーズを愛読、応援してくださってありがとうございます。『人狼城の恐怖』を書いた後、「蘭子さんはいつ還ってくるのか」という質問を山ほどいただきました。今、ようやく、彼女が日本に戻ってきました。『覇王の死』では、まだ本格的に探偵業を始めていませんが、彼女が引退することはありません。これからも、密室殺人を中心とする不可能犯罪に挑み、様々な謎を解き明かしていくことをお約束します。