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『虫とりのうた』赤星香一郎|あとがきのあとがき|webメフィスト
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あとがきのあとがき

『虫とりのうた』

赤星香一郎 (あかほしこういちろう)

profile

1965年、福岡県生まれ。熊本大学工学部出身。システムエンジニアなどの職につきながら小説を執筆。「虫とりのうた」で第41回メフィスト賞を受賞しデビュー。

 去年の十月だったと思います。『虫とりのうた』を執筆していたときのことです。

 時刻は午後三時を回っていました。私は部屋でひとり、ベランダを背にしてパソコンに向かっていました。デスクはいつもは窓を閉めているのですが、その日はなぜか窓を開けていました。ときおりねっとりとした生暖かい風が首筋にまとわりつく、妙に不快な日でした。

 執筆が佳境に入ろうとしていたとき、生臭い匂いと共に背中に気配を感じました。その瞬間黒い影が私の脇をすり抜けたような気がしました。脇をちらりと見ましたが、動いているものはありません。気のせいと思い、デスクに向き直ると、また黒い影が脇をすり抜けました。立ち上がって振り返り、窓から顔を出して外を見渡しましたが、それらしきものはなにも見えません。

 それからは黒い影の正体が気になって、執筆どころではありませんでした。気もそぞろにパソコンに向かっていると、耳鳴りに似たキーンという小さな音が聞こえ、再び匂いと気配を感じました。私はすぐさま振り返って窓の外に目をやりました。

 すると西日の射すベランダの手すりの上に、小人が浮いていたのです。目を凝らして再びよく見てみると、小人は消えていました。すぐにベランダに出てあたりをくまなく調べましたが、なにもいませんでした。

 一瞬でしたが、たしかに黒い袈裟をかけた坊主のような小人が、宙に浮かんだまま私を見つめていたのです。体長は五十センチほどでしょうか、頭には毛が一本もなく、後頭部が大きくいびつに膨らんでいて、顔中皺だらけでした。瞼は腫れぼったく、目は落ち窪んでいましたが、深い眼窩の奥から鋭い目つきで私を睨んでいました。

 私はこれを「いない坊主」と名づけました。人の前には姿を現さず、いつも本人の目が届かないところで観察し、いまも私の背中をじっと見つめている。こうして「いない坊主」は生まれ、『虫とりのうた』の作中に登場しました。

 いま私は二作目の『赤い蟷螂』を執筆しています。『虫とりのうた』の主人公、赤井が大学のとき、見ると不幸になる「赤い蟷螂」の都市伝説を知るところから物語は始まります。「いない坊主」はここでもこっそり登場していますが、この「赤い蟷螂」も「いない坊主」同様、いつか私の目の前に現れるのではないかと思うことがあります。

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